新箱です
亀山早苗 2010年03月02日(火)06:53white gateさん
それいゆちゃんの高座デビュー(ってヘンか・・・)、
うまくいくといいですねえ。
噺家さんは幼稚園にも落語をしに行くみたいですが、
やっぱりさすがにやりにくいらしい。
いちばんやりやすいのは小学生みたいです。
昔の寄席には近所の子どもたちが親に連れられてやってきて、
客席である座敷をうろうろしていたようですが、
今の寄席はそうもいかない。
つい先日、とある料理屋での落語会にも、
やはり小学生の女の子がお母さんと一緒に来てました。
「ナマの落語は初めて」と言いつつ、目を輝かせていましたよ。
ずっとDVDを見ていたそうです。
まだ低学年だと思うのですが、飽きずに楽しんでいたようです。
なるほど、早苗さん、参考になるお話ありがとうございます。
昔の寄席の方がおおらかだったのかな。
それいゆを妊娠しているとき、私の住んでいる市で菊之丞さんの噺を聞きに行ったのですが、
その折、小学生が最前列に座っていたんですよ。
中学年だか高学年だか…。噺に聞き入っていましたよ。
周りのおじいちゃんおばあちゃんが感心していました。
あれ見て「子供に生の落語を聞かせたいな〜」なんて思ったんですよね。
こんなこと言っちゃ噺家さんに失礼かもしれませんが、
落語って一番敷居の低い古典だと思うんですよ。
ほかの古典芸能も若い世代を取り込もうと懸命なのは感じられるんですが、それでもちょっと気が引けてしまう。
敷居の低さの鍵は「笑い」なのかな、と思うんですけど、じゃあ狂言はどうなんだ、ってなるし。
まくらでお客さんをリラックスさせたり、いろいろと仕掛けがあるからかなぁ。
そうそう、江戸っ子早苗さんに質問。
これって、江戸っ子特有の言葉ですか?
・「ひ」と「し」がひっくり返る。たとえば、ろく、しち、はち…ではなく、ろく、ひち、はち…と数えるとか。
・「教えて」が「おせーて」になる。
・「すーっとまっすぐ行く」というところを「つーっとまっつぐ行く」。「す」が「つ」になる、と言えばいいのでしょうか。
落語を聴いていて、ちょいと気になりました。
旦那に聞いてみたけど「わからない」ですって。
まぁ、先祖が江戸っ子でも本人は都落ちの二代目ですものね…(^^;
ちなみに、先日、菊之丞さんが出た「落語者」の収録DVDをそれいゆに見せました。
すぐに飽きてしまいました…(涙)。
「ひ」と「し」がひっくり返る、というか江戸っ子は「ひ」と「し」の
区別がつかないんですよ。
私が子どものころ、母が「家の前の白い道路を」とずっと言っていて、
うちの前の道は白くないのにな〜と思っていたら、「広い道路」のことでした・・・。
私自身は間違えないつもりでいたのですが、最近になって
「ひこうき」を「しこうき」と言ってしまったりします。
あわてて言い直しますが・・・。年取ると「血」が出てきちゃうのかしらん。
「おせーて」というのは、だぶん「だいこん」を「でえこ」と言ったのと
同じようなことだと思います。
なんていうのか、こうはっきりと言わないというか、短くなっちゃうというか。
落語では職人さんが出てくる噺が多いせいもあると思いますが。
「まっつぐ」は、私は今でも使います。
「つーっと」というのも使いますねえ。
「あそこ」は「あすこ」です。
江戸言葉なのでしょうね、やっぱり。
「おととい」だって、江戸っ子は「おとつい」ですね。
おそらく、武家言葉ではなく町人言葉、中でも職人言葉が
現在の落語には生きているのだと思います。
「落語者」では、「幇間腹」でしたよね。
ハリを打つということがわからないから、
子どもにはむずかしいかも・・・。
へええ、へええ、へえええええ〜〜〜〜〜〜〜〜。
早苗さん、ありがとうございます。
やっぱり生粋の江戸っ子に解説してもらうと、説得力が違いますねー
(私の周囲は殆ど都落ち)。
落語に出てくる主人公に多いのが「おっちょこちょい」と「しったかぶり」なのかなぁ、って思います。
あ、あと「理屈をこねる」。これは後者に入るんでしょうか。
ウチの夫も何か食べるごとに理屈をこねるので、私は
「そのうちに腐った豆腐に七味唐辛子かけたのを酒の肴で出してやろうか」
と反撃(?)しています。
あ、あと、それいゆにモノねだられて思わず買ってやった行為を夫は「初天神」と言ってます。
何回も繰り返してりゃ「初」も何もあったもんじゃないじゃん、と思うんですけど。
「うえーん、こんなことなら父ちゃん連れてくるんじゃなかった」
と子供が泣くサゲがついてくるのは、多分数年先ですねぇ。
そうそう、今日の朝日新聞の39面に、落語関係のニュースが出ています。
タイトルは、
「円生襲名かけ真剣『笑』負の落語会」。
六代目三遊亭円生の名跡をめぐって、鳳楽さんと円丈さんとが「争奪戦」落語会を行うそうです。
浅草の東洋館で、3月17日午後6時半開演。
落語の敷居の低さはやはりお値段ではないかしら。
狂言なんかやっぱり高いだろうし、第一何言ってんだかわかんないし。
私にとって笑いは吉本でしょうかね。
あの間の抜け方は秀逸だと思われます。
押し付けがましさがないというか、教訓がないんですね、一切。
山田花子初め、キャラが立ってます。
殊に池乃めだかと末成由美がいい。
勉強しないでも笑える。いつでも笑える。
敷居の低さは他の追随をゆるしません。
って負けん気起こしてどうするw。
私にとって、落語の敷居の低さは、「実感できる生活が噺の中にある」からかなあ。
親戚が落語に出てくるような長屋に住んでいて、
小さいころおばあちゃんに連れられて行った思い出もあります。
長屋が建ち並んでいる間に井戸があって・・・近所のおばんちゃんたちが
まさに井戸端会議をしていました。
長屋も、落語「三軒長屋」なんかに出てきますけど、
一階は一間、二階に勝手に建て増しするのです。
だけど天井の高いのを建てちゃうと長屋が傾いちゃうので
(なんたって棟割りですから)
二階は這って歩く程度の高さの一間。
布団が敷いてあったから、寝間にしていたのでしょうね。
階段も這うように上がったものです。
町は職人町で、「でえくさん」もいれば
「しゃかんやさん」もいました。
しょっちゅう知らない人が家でお茶飲んでたりして・・・。
「あれ、誰?」
「さあ・・・」みたいな。
生活そのものが、今思えば落語だったのですね。
やえこさん
私が、東西の文化、笑いが違うなと思うのは、まさに吉本新喜劇。
私は「大宮デン助劇場」(知ってる人いるかしら)で育ったので、
どうにも吉本の笑いがわからない・・・。
学生時代、東京で生まれ育った人が吉本にはまっているのを見て、
なんだかうらやましかった記憶があります。
連投失礼。
white gateさん
噺の中に出てくる人は、そう、みんな「おっちょこちょい」の「粗忽者」。
聞いたことを知ったかぶって、別の場所で言ってみて恥をかく、なんて噺も多いですね。
「時そば」なんていい例ですね。
でも憎めない。
理屈というより、「屁理屈」でしょうねえ。
つまりはやっぱりフツーの庶民なんですよね。
だからたとえ時代が変わろうと、親近感がわく。
今の時代だって、人間なんてもんはそう変わったわけじゃないんだなと思える。
システムは変わっても、人の心はね。
うーむ。
落語ってどうしても馴染めないんですよね。
それは東西にかかわらずです。
なんでかなあ。
多分落語の中にある形式に馴染めないんでしょうね。
馴染めたら話題も広がっていいだろうと思うけど
あきちゃうんですよね、聞いてる内に。
漫才ならOKです。
それでも吉本がやっぱり一番のどかでいいなあw。
大宮デン助覚えてます。
笑えない喜劇No1かもw。
こう見ると、早苗さんと私にはかなりギャップが
ありそうですね。
でも「渇望」は次回が楽しみだなあ。
立ち読みかもしれませんが、読みたいです。
やえこさん
ほんとですねえ、笑いのギャップは大きいみたいですね。
私、関西の「しゃべくり漫才」は大好きなんですけど・・・。
それでも最近のお笑いはわからないので、昔の漫才師が好きです。
こっちの漫才に「昭和のいるこいる」というふたりがいます。
テレビで見ても笑えないんだけど、寄席で見ると、いつも同じパターンなのに
やっぱり笑ってしまう。
テレビの寸法ではおもしろさが伝わらないんです。
なにがどうってわけじゃないんだけど、このふたりの漫才を見ていると、
どんなに落ち込んでいても
「生きるってえのも、まんざら悪いことばかりじゃない」と思えてくるから不思議。
芸には、そういう力があるんだと思います。
あははは、同感です。TVでも笑えます。
のいるこいるは心ここにあらずというおかしさでしょうか。
あのせからしさは愛くるしいというか。
関西で、「ちっちきちー」という怪物みたいなおっさん漫才があって
これも生きる希望を与えてくれます。大木こだま・ひびき。
知ってますよ、こだまひびきさん。
ずうっと昔から、「ちっちきちー」ってやっているのに
ある日突然、売れた人たちですよね。
私のような小心者の江戸っ子には、ちと怖いんですよねえ、
あの関西弁が。
のいこいは、やえこさんがおっしゃるように、どこか愛らしい、憎めない。
「あー、そうだそうだ、しょうがねえやしょうがねえや」なんて
言われると、確かに「ま、考えてもしょうがねっか」と思えてきちゃう。