月末の締め切りが重なる時期にあちこち行ったことを書いていると、
まるで遊んでばかりいるようで・・・遊んでばかりいるのは確かだけど。
というわけで、今日は歌舞伎座の「桂枝雀七回忌」の落語会に行ってきた。
枝雀も好きだったけど、今日のお目当ては、大大大好きな小三治。
小三治の「一眼国」、おもしろかった。
マクラで枝雀のことを話していて、それは不覚にも落涙するほどいい話だった。
楽屋で一緒になっても、端と端で眼をちらと合わせてにこっとする程度の
関係ではあったけど、「あの人とあたしは似たもの同士」だと思っていた、と。
お互いにふだんは陰気で、世間話もするわけじゃない。
だけどどこか、合うと気持ちがいいなあと思える人だった。
枝雀の奥さんに、「うちの人は小三治さんに合うと、今日は小三治さんに会って
うれしかった」と言われて、同じように感じていたのだなあと思った。
枝雀さんは、途中からすっかり有名人になって、芝居をしたりテレビに出たり
していたけど、「一度大きな花火を上げてしまって、それがうまくいってしまうと
続けなくてはいけない、と思うから、大変だろうなあ、と遠くから見ては
思っていた」
同業者として、同じように落語を愛する者として、心のどこかでちょっとだけ
心配したり「どうしてるのかな」と思ったり。
だからといって、連絡をとりあうわけでもなく・・・そんなちょっとした
心の交流があったのだろうなあ、と思わせるマクラだった。
枝雀の関係だから、上方落語をいくつか聞いたが、
正直言って、落語は江戸に限る、と思ってしまった。
落語は関西で始まって江戸で発展したものだけれど、
私自身が東京の生まれ育ちということもあって、上方落語はちょっとくどさを感じる。
枝雀の噺のビデオも流したのだが、「代書屋」、おもしろいけど、
やっぱりどこか違う・・・
前に聞いた、権太楼の「代書屋」のほうが、私にはしっくりきたなあ。
実にばかばかしくて、落語の味がたっぷり。
枝雀という人は、ばかばかしさの中に知性が入り込んでしまうのだ。
彼自身はそのことをわかっていて、
だからこそ、おかしみを増すために身振り手振りを大きくしたのではないか。
そんなことをちらと思った。
やっぱり落語はビデオより、生で聴くものだ・・・
ビデオの枝雀は、どこか痛々しく見えた。