昨日は、忘れてはいけない敗戦記念日。
先日、若い人たちへの街頭インタビューで、「昔のことには興味がない」「知らないから」と言うのを聞いて悲しくなった。知らないなら知ろうとすればいい。
昭和がどんな時代だったかを。
30年代が懐かしいとブームになったけれど、それはあの戦争の名残でしかない。貧しかったのだ。
私の伯父も戦争で死んでいる。遺骸もない。どこかの南の国できっと土に還っているのだろう。
知らないうちに靖国神社に祀られていたらしい。遺族が抗議したけれど、はずしてはもらえないようだ。
戦犯たちと一緒に、ただの兵隊が、死にたくなかった若い青年たちが靖国に祀られている。本人は望んでいるのだろうか・・・。
私は靖国神社に行ったことがない。見たことのない伯父が祀られている靖国に行ったほうがいいのだろうか。それとも話に聞く、やんちゃで愛すべき青年だった伯父の私なりの面影を、心にとどめておくだけでいいのだろうか。
この時期になると、見たこともないけれど、「いいヤツ」だったらしい伯父のことが思い起こされる。
学校にもよるのかもしれませんが、少なくても私の通った学校では、近代日本史はあまりまともに
教えてもらった記憶がありません。
戦争に負けちゃったから?受験にはあまり出ないから?
中国や韓国などの若者と、日本の若者を比べると(若者じゃないけれど、私たちの年齢の人たちも含めて)
圧倒的に日本人は戦争のことを知らないですよね。
若いときは、そういう比較すらしたことがなかったけれど、
だいぶいい年になって、他国の若者が、しっかり戦争を学んでいることを知り、
なんとなく恥しく思うようになりました。
どんなひどいことをしてきたのか?の真偽は、私にはわかりません。
そして戦争ではあったのだから、どの国もそれなりのひどいことはしたのだとは思います。
だけど、敗戦国、被爆国として、そして他国を侵略した国として
後世にしっかり語り継ぐことの大事さは、ずっと思っています。
戦争に限らず、都合の悪いこと、言いにくいことは、避けたくなるのは確かなのだけど、
それで済むことと済ませてはいけないことってあります。
靖国神社に祀られるということ、どう考えたらいいのでしょうね?
戦争をしたくてした人、したくなくてもさせられた人。
同じようには考えられないけれど。