加藤和彦さんが亡くなった。
「オラは死んじまっただ〜」という歌は本当に懐かしい。あの声をまねして歌うのが、子どもたちの間で流行ったっけ・・・。
切ない思いをしていたとき「悲しくて悲しくて〜とてもや〜り〜きれない」という歌を聞き、まさに今の私だわと思ったこともある。
早く世に出すぎた天才は、早く息切れするのかもしれない。それが宿命なのかも・・・。
仕事でよく行った六本木に、彼の自宅があった。独特の風情ある家だなあとよく思っていた。
私は自殺を否定も肯定もしない。しかも自死について、他人は何も言うことさえできない。その人が選んだ道を静かに見送るしかないと思っている。合掌。
HANA 2009年10月21日(水)19:00帰ってきたよっぱらい、おもしろい歌でしたよね。
次に出そうと思っていた『イムジン河』、出なかったというのを
加藤和彦さんの亡くなったニュースの中で知りました。
歌、私は知っていたから、レコードになっているのだとばっかり思っていました。
イムジン河が出せないことで、急遽、作れ!と言われてつくったのが
『悲しくて…』だったのだそうですね。
テレビのコメンテイターのひとりが、
『すべてやりつくしてしまったんじゃないかなぁ?そういうきもち、わかるなぁ』
と言っていましたが…。
加藤さん、とっても完璧主義者だったようだし、
仕事でも私生活でも、躓いたり、かっこ悪かったり…したくないという思いが
強かったんじゃないのかなぁ?と、私は感じました。
自分なりの美学のある人は、そこから自分が離れてしまうことには
耐えられないような気がするのではないのでしょうかね。
でも、報道で知る加藤さん、デリケートで、ダンディで、ロマンティックで、
素敵過ぎる男性だと感じました。
凡人じゃなかったことの、悲しさ…があったのでしょうね。
ご冥福をお祈りしたいと思います。
亀山早苗 2009年10月22日(木)06:16遺書が少し公開されましたよね。
その中で、自分が作って来た音楽が世の中に必要とされているのか・・・みたいな内容があり、
「ああ、これでは生きていけなかっただろうなあ」と思いました。
それが鬱病のなせる業なのかどうかわかりませんが・・・。
イムジン河の発禁は、当時かなり話題になりましたが、
結局は自主規制だったようですね。
あの歌がなかったら、パッチギという映画はなかったかも・・・。
HANAさんが言うように、自分の美学にとらわれすぎると
生きづらくなるんでしょうねえ。
安井かずみさんが生きてらしたころ、
「日曜の朝はふたりでちゃんとファッショナブルな服を着て
ブランチをとる」と、安井さんと親しい人から聞いたことがあります。
ライフスタイル自体が、一般人とかけ離れているんだなと思った記憶があります。
遺書の公開されたのは知りませんでした。
そうですよね、自分が世の中に必要とされていないんじゃないか?と
思うと、生きるということを止めてもいいような気がするっていうの、
私もあります。
自分は自分、世間がどうであっても、自分が納得できるなら…
なんて、普段、思っていたとしても、
そういった疎外感というのか、無力感というのか…
何とも言えない寂しさがありますよね。
私の場合は、幸いにも凡人で、かつ、忍耐弱いので
そんなふうに落ち込んでも、掘り下げて考えもしないし、
そんな状態を長く続けてもいられないので、未だに生きています…。
安井かずみさんとは、いろんな意味で最高のカップルだったのかもしれないから、
そんな大事な人を亡くされたという現実も、大きなことだったのでしょうね。
『加藤さんが生きていてくれるだけで、よかったのに』と言っていた
コメンテイターもいましたが、
加藤さんには、生きているだけでは自分として納得いかなかった…のだと
思いますものね。
自分で生きることをやめるということ、
自分の決断なのだから、何も言えないし、
そう思うことがあるのも、共感する部分もあるのですが、
やはり残された人たちは…やりきれない思いでしょうね。
北山修さんは精神科医でもあったそうで…。
生きることも、死ぬことも
大変なことです。
南田陽子さんの亡くなったニュースも伝えられていますが、
自分のことを自分でわからなくなってくる…という中で生きるのも、
悲しい話だなぁと思います。