震源地近くに比べれば小さかったけれど、11日の地震はここ東京でも、とてつもない揺れだった。のんびりとぬか漬けでも作ろうと、野菜を出したとたん、ぐらりと来た。つけていたテレビから、緊急地震速報のサイレンが流れる。
それを見る間もなく、さらに大きく揺れ始める。携帯電話を握りしめ、逃げ道を確保するために玄関を半開きに。立っていられないほど揺れていた。玄関の柱に手をついて、ただひたすら堪えるしかない。がさっわさっと建物がしなる。部屋でものが落ちる音が響く。長い長い揺れだった。その30分後に起こった地震でもまた、建物がわさわさと揺れた。
頑丈な木の本棚が倒れた。もし寝ていたら、角が眉間に当たってとんでもないことになっていたと思う。倒れた本棚をひとりで起こすのに6時間かかった。気持ちがへこんだ。
あれから2週間。世の中がすべて変わった。災害というのはこういうものなのだと実感している。津波、原発。水の心配。そして都内の店からものが消えた。食べ物、トイレットペーパー、ティッシュ、生理用品、電池、そしてもはや水はまったく手に入らない。
落語会も自粛、自粛。イベントも中止。東京から笑みや活気が消えている。
誰もが半分、被災者であるという自覚がある。それでも、誰もが何かをしなくてはいけないと焦っている。そして私も・・・。
いろんな人に甘えた。「怪我などありませんでしたか」という一言に心がなごんだ。ないものを送ってくれるという人に手を合わせた。
ナイトゲームを強行しようとしたプロ野球に批判が集まった。もっともだ、と思う。とにかく電気が足りないのだから、それはしかたがないのかもしれない。
だけど・・・気持ちまで縮こまってはいけない。ようやくそう思えるようになってきた。テレビに映る被災地の子どもたちの顔を見ると、少しだけ心がなごむ。「希望」という言葉を簡単には使えない、使う気になれない。だが、子どもの笑顔はやはり、いい。