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女、というもの

新潮45を読む。
中村うさぎさんが、デリヘルで働いた経緯を書いているのだが、
正直言って、同世代としては涙なくして読めない。
15歳年下の惚れたホストと同衾したものの、彼は不如意。
「女として見てもらえなかった」ことに、彼女はひどく傷つく。
まさに慟哭の手記、といってもいいくらいだ。
その結果、彼女は整形やダイエットにいそしみ、
そしてデリヘルへとつながっていったのだ。
男が金を払って、女への幻想を買う風俗、
そして女は女として扱われる、ある種の満足を得ることができる・・・。
気持ち、わかる・・・と涙ぐんでしまった。

女40代。どうがんばっても、自分が男を引きつけられる容姿ではなくなっている
ことに、実は自分がいちばんしっかり気づいている。
それなら、さっさと女を降りればいいのかもしれないが、
なかなかそうはいかない。まして、好きな男ができたりすれば。
そこで、「40代は女盛りよ」と開き直れるほど自信はない。
「容姿より内面よ」と言い切る自信もない。
年くって、多少、精神的には余裕も出て、友だちづきあいならできる。
だけど惚れた男に「女として見てもらえない」ことほど、
女が傷つくことはない。
実際に関係をもつかどうかは別としても、女は女として求められたい、
という欲求がある。
人として尊敬されたいか、女として求められたいかと言われれば、
多くの女が後者をとるのではないだろうか。
かといって、なかなかそういう感情はあからさまにはできないものだ。
がつがつしている感じが、ますます男の気持ちを遠ざける。
「花の命は短くて」ということだろうか。
なんともわびしく、そしてせつない。