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ぎすぎすした世の中

冬のオリンピックたけなわ。スノーボードの国母選手が「服装問題」で大批判を浴びている。テレビを見た一般国民が、しかるべきところへクレームをつけたとか。

世知辛い世の中だ。彼の服装がいいとか悪いとか言う以前に、そんなことでいちいち批判をする人の気持ちがわからない。マスコミも、そんな幼稚な意見は放っておけばいい。協会側もわざわざ会見など開く必要があるのだろうか。

もう時効だと思うけれど、高校時代、シャツのポケットにたばこを入れている生徒がいた。教師は、「見えるところに入れるな。学校内で吸い殻を捨てるな」と言った。たばこを吸ってはいけないとは言わない。つまり、問題を起こして損をするのは自分だぞ、何かやるならうまいこと隠せ、と教えてくれたのだろう。

「大人になる」というのは、そういうことだと思う。自分の主義主張を貫くのは悪いことではないけれど、一般的にそれが「通るか通らないか」については、敏感であったほうがいい。世渡りするというのは、どこかで妥協していくことだ、ということを国母選手に教えてやれる大人はいなかったのだろうか。

つまりは、自分と世間のバランスの問題なのだろうと思う。

ただ世間の「一般常識をもつ大人たち」も、些細なことで目くじらを立てない寛容さをもってもいいのではないだろうか。

HANA 2010年02月17日(水)08:44

自由、自由、といってきたこと。
本当は、自由には、自分の責任というものがついてくるはずなのに、
それをどこかに置き去りにして、何でもあり!だと錯覚していることが
表面化しているのではないでしょうか?

お勉強さえできれば、認められてしまう。
一芸に秀ていれば、認められてしまう。
ほかのことが何もわからないで成長してしまっても、
ほかの子供達(大人もですが)と違う、協調性が極端にない、
そんなことすら、個性だといって容認してしまう。

何かに才能をもっていることは、とてもすばらしいことだと思うけれど、
じゃぁ、それだけでいいのでしょうか。
自分勝手と自由。どう違うのか…。

朝青龍の問題もでしたが、
周囲の人たちも、才能のある人間を、ほいほいと持ち上げることには長けていて
その才能を、つまらないことで『評価を下げる』ことにならないように
するためのことには、気を遣ってやらなかった。
そんな思いはあります。
でも、国母さんも、朝青龍も、大人なのだから、本人の責任は、免れないでしょうね。

ネット社会がいけない、とは言いませんが…
顔の見えないところでクレームをつけるのは、簡単なのですよね。
面と向かって話せば、クレームはつけにくく、
つけたとしても、そのあと、話し合える。
そういうコミュニケーションが、ちょっと不足してきてしまったのではないのかなぁ。
と、時々、感じます。

早苗さん、
私の行っていた高校の先生も、そういう先生でした。
それって、そういう言い方で、生徒が理解できる、と先生に信頼されていた、
そういう言い方をしてくれる先生を信頼していた、
そういうことだったのでしょうね。