かの編集者の死が、意外なほどショックで、ようやくそこから
脱しつつあるところ。
今週、三島由紀夫原作の映画『春の雪』を観た。
原作から、恋愛部分を集約させて撮った作品。
役者に多少の不満はあるものの、内容的には「凝縮された恋愛」を
感じ取ることができた。
抱き合うことは、感情を発露させるものかもしれないとふと思う。
恋の狂おしい感情を、抱き合うことでぶつけるのではなく、
減少させていくこともあり得るのだろうか?
狂おしい感情を発露させずにためていくと、いったいその感情はどこへ行くのだろう。
行き着く先がわかっていながら、どこまでもとことん行ってしまう関係は
せつないのか幸せなのか。
そもそも、人を恋う気持ちっていったい何なのだろう・・・。
破滅に向かう恋は、贅沢なものなのだと言った人がいる。
恋なんて、したいと思ったことは一度もない。
「春の海」のふたりだって、破滅したくてしていったわけではないだろう。
あの結末が「破滅」なのかどうかもわからない。
年をとると価値観が定まってくると世間では言われているが、
私は不惑を過ぎて惑ってばかり。
たぶん、価値観が定まるのが怖いのだと思う。
自分が今まで知らなかった感情を知りたくてたまらないし、
まったく違う価値観をもった人に取り込まれていくのもおもしろいと思う。
固まることへの恐怖感があるのかもしれない。
「自分」をもたずに、するするにょろにょろと人の間に入っていく。
それはともすると、かなりつらいことなのだが、
そうしてみないと自分を確認できないような状態になっている。
そんな気がする。
たまには水のように生きてみるのもいいかもしれない。