夏はオペラシーズンではないので、かなりオペラ枯れとなる。
ヨーロッパあたりでは音楽祭シーズンだが。
昨日は久々のオペラ。
「アドリアーナ・ルクヴルール」。
この話、陳腐といえば陳腐なストーリーだ。
とある女性が、男に二股をかけられ(実は男の心は他の女性から彼女に移っている)、
最後はその恋敵である女性に毒を盛られて死んでしまう、という話。
背景を抜きにして簡単に書くと、ホントに陳腐かもしれない。
しかし、陳腐な話ほど、人の心を打つ。なぜなら、誰にでもある感情を
題材にしているから。
さらにオペラの魅力として、美しい音楽と歌手の声の力、歌の力がある。
愛する歓び、嫉妬、誤解、疑惑、怒り、絶望など、人間のもつさまざまな感情が
浮き彫りになっていく。
オペラを聴きながら、ふと考えた。
人を好きになることがせつないのは、その人の過去に膨大な時間が、
自分の知らない時間があるからかもしれない。
それは過去だけではなく、現在についても言える。
わかりたい、だけどわかり得ない。わかるには時間が足りない。
だが、厳密にいえば、それは一緒にいても同じこと。
今この瞬間、相手が何を考えているかなんてわかりようがない。
頭や言葉で「知る」ことだけがすべてではないように思う。
知ろうとせずに、ふたりの間を埋めていける術だってあるはずだ。
オペラというのは、もちろん時代も環境も現代とは違うけれど、
人の感情、という意味ではまったくかわりない。
それは歌舞伎にも落語にも、あらゆる舞台にいえること。
芸術だの娯楽だのといった、種分けもあまり意味がない。
自分の「感じ方」を大事にすればいい。