今日は町屋のもんじゃ屋さんへ、菊之丞さんの落語を聴きに行った。
こういう落語会というのは、ひとりにつき時間がたっぷりあるので、
聞きごたえがあって好き。
もちろん定席の寄席には、特別な寄席ならではの雰囲気があって好きだが、
なにせひとり頭の時間が短いので、ちょっと欲求不満になってしまう。
今日は「青菜」。夏ならではの滑稽な話だが、すんばらしかった!
私は「自分探し」とか「本当の自分」という言葉が、
どうしても好きになれなくて、探すほどの自分があるのかい、とか
どれも本当の自分だよ、とか、そういう言葉を聞くにつけ、
ひとり突っ込みを入れてしまうタイプ。
それでも、ある日、人との関係において、自分自身、気づかなかった潜在意識みたいな
ものが表面化してくることがあるのだなあ、ということをふと発見した。
だからどう、というわけではないのだけれど、
自分の中でずっともやもやしていたものが、なんとはなしに解決、というか
納得できたような気になるのは悪いことではないのかもしれない。
年下の女友だちと話していたら、彼女は恋愛において、
「お姫体質」だという。私は無条件で、お姫体質の人が羨ましい。
私は完璧、下女体質だから。
彼女は、「男がつけあがったり図に乗ったりするのが許せない」という。
ひえ〜、私はひたすら男を図に乗せてしまう。
だって好きな人には、好きなことをしてもらいたいし、
その人がいちばんいい状態でいられたらいいなあ、と思うから。
自分のためには神仏に祈ったりしないけれど、
好きな人のためなら、どんな神様だって仏様だって祈っちゃう。
お姫体質の女は、「私のために何をしてくれるの?」がキーワードなのだろう。
下女体質の女は逆で、「あなたのために何ができる?」がポイント。
「どれだけ無理してくれるか確かめないと、幸せになれないっすよ」と
お姫は言う。
しかし・・・下女にはそれが言えない。だから下女なんだけど。
些細な無理に、下女は感動して、それ以上、自分から強いるなんてできない。
まあ、愛情を何で測るか、という問題にもなってくるのだが、
お姫は、金だ、などとほざく。
下女は気持ち、と控えめに言いつつ、内心、時間と手間だと思っている。
案外、下女のほうがわがままだったりして・・・。
いや、でも時間と手間は物理的に可能不可能が生じるから、
最終的には「気持ち」なんだろう。
でも悲しいことに気持ちは測れない。
だから下女は、相手の一言に一喜一憂するわけだ。
「恋」を貪り尽くしているのは、さてどっちなんだろう。