No.2104の記事

5月17日〜

新箱です

亀山早苗 2010年05月17日(月)02:25

新しい週の始まりです〜。
今週もがんばりましょう〜。

以前、330さんが書かれていましたが、
こうやって新箱作るのは、だいたい深夜です。
それから寝ることもあれば、まだ仕事中ということもあります。
だいたい、最近は睡眠も分散ですねえ。
たまに信じられないくらい寝続けたりもします。
しょーもない生活です。

ごんたろう 2010年05月17日(月)19:28

こんばんわ〜。
今日、韓国から帰国しました〜〜。
今回は、観光地にもほとんど、行かずに町をぶらぶらとしていました。
昼はフードコートに行き、少しでもハングルに慣れようとしたり、いろんなバスに乗って、いろいろな場所に移動を試みてみました。ゴミだしで守衛のおじさんに注意され、後日、少しでもごみ出しのルールを教えてもらおうと辞書でいくつかの単語を並べて教えてもらいに行てみました。
一生懸命にわかろうとするとおじさんや掃除のおばさんが、わからないなりに一杯話ししてくれて、なんとかゴミ出しの仕方がわかりました!
サウナや汗蒸幕もごくごく普通の町の銭湯でチャレンジしてきました。
TVの大統領が軍隊を引き締めると話ししていた翌日から、ミサイル機らしい飛行機がよく飛んでいました。
韓国の人達に、いっぱい迷惑かけて、いっぱい助けてもらっての日々を過ごしました。
本当に「カムサハムニダ」です。
ピの曲を一杯聞いていたら、ピのアルバムが欲しくなって、買ってしまいました。
というところで、、、訪韓の報告でした!!

HANA 2010年05月17日(月)21:48

なぜかふっと『あれ?今日は何日だっけ…』と、
毎年、5月17日には日付を意識してしまいます。
もうずいぶん前になるのに。
『幸せ』だと感じた思い出の夜です。
今夜は早めに布団にくるまって、のんびりとニタニタ♪することにします。

幸せって、たしかに、なるものでも、してもらうものでもなくて
その一瞬、一時、感じるもののような気がします。
何だか、このごろ、そういう感覚を忘れているかなぁ。

330 2010年05月17日(月)21:49

なおこさん、ドキドキしますね〜。
今まで、頑張って来られた結果なのですから、天命に、任せましょう^^
緊張し過ぎて、体調を崩さないで下さいね。

ごんたろうさん、韓国旅行、娘と二人で、行ってみたいです。
珍道中になりそうですが(笑)

早苗さん、やっぱりそうでしたか〜。
しょーもない人生なんて事は、絶対ありませんが、
「お肌の曲がり角」を過ぎて、20数年・・・
夜10時から、翌2時までは、成長ホルモンのためにも、寝たいですね〜^^
ここまで来たら「お肌のUターン」って、無いのでしょうか(笑)

やえこ 2010年05月17日(月)22:05

 皆さん、お久しぶりです。
 5月5日に神戸から戻りました。ここ、藤沢小鳥の街は旧赤線地帯。
 その片隅で暮らし始めて3つき余り。
 愛人も神戸から下道を通ってやってきました。
 軽トラで廃品回収やってる在日3世。40歳。私にとっては息子のような年。

 2泊3日で帰っていったけど、来るもよし帰るもよしの孫状態。
 
 ごんたろうさん、韓国レポート有難うございました。
 ミサイル機、不気味ですねー。

 彼は南出身だと思いますが、あまり生い立ちを語りたがりません。
 殊に父親については寡黙です。
 然しぽつりともらす言葉に凄味あり。
 「おとんは無修正のエロ写真、俺に見せとったわ、幼稚園の頃。にやにや笑うてな」

 歌ってばかりで汚い服を着ていた父。土方をしてた母。
 水商売をしていた姉。そして彼もまた水商売と土方に明け暮れてました。

 あまりにも境遇の違う2人が出会ったのは神戸三宮の道端でした。
 もう4年になるんだよなあ・・・・・・。
 精神的には殆ど孫のような愛人に恵まれました。
 30年のセックスレスの賜物かな?
 そう。幸不幸なんてどうでもいいんです。
 このままー、死んでしまいたい♪ by西田佐知子(この字であってたっけ)。

亀山早苗 2010年05月18日(火)05:15

やえこさん
なんだかおふたりの様子、かつてのATGの映画みたいな感じ。
せつないけど、寄り添う情景がどこか温かくもある。
それもまた人間関係、男女関係なのですね。
「アカシア〜の」ですね、字は合ってます。
私は「女の意地」も好きですが。

ごんさん
だんだん馴染んできてますねえ。
やっぱり「暮らす」ことをしないと、その国には馴染めませんね。
日常はゴミ出しや買い物で明け暮れていくのですものねえ。

ミサイル機は米軍のものでしょうか。
沖縄では実は海兵隊はたいした訓練はできず、
本格的な訓練は、韓国やフィリピンでやっているらしいですね。

330さん
へへ、しょーもない「人生」とは思っていませんよ。
しょーもない「生活」ではありますが。

まあ、本来、人生なんてしょーもないものかもしれませんけど。
そこからスタートすれば気楽なものでしょう。
私はけっこうそういう考え方をするタイプではあります。

330 2010年05月18日(火)19:28

早苗さん、ごめんなさ〜い。
投稿してから「あっ、間違ってる〜」と、気が付きました。
皆様、間違いでスルーして下さるかと思ったのですが・・・。
早苗さんに、突っ込まれるとは・・・。
申し訳ありませんm(−−)m

ATGの映画って、何ですか?

やえこさんのパワー、少し分けて頂きたいですね〜^^
私は、生活に疲れているのでしょうか?

亀山早苗 2010年05月18日(火)19:42

330さん
いえいえ、突っ込んだわけじゃなくて、
「しょーもない人生」というのもアリだなと
ちょいと目から鱗だったのですよ。

ATG映画はご存じないですか・・・。
日本アートシアターギルドという映画会社で、
60年代から80年代、日本にある意味、画期的な映画を
もたらしていました。
アート系の映画も多かったけれど、
社会的な問題提起作品もありましたね。
男と女についてもいろいろ考えさせらた作品が多かった。
10代後半の多感な時期、非常に刺激されたり感動したりしました。

330 2010年05月18日(火)20:29

早苗さんが、10代後半って事は、私は、中学生でしょうか?
当時の映画というと・・・「野麦峠」とか「人間の証明」しか、覚えてないです^^;
男子達は「銀河鉄道999」に、はまってる子達も居ましたが・・・。
代表作を聞けば、あ〜分かる〜と、思うのかも知れないですね。

「しょーもない人生」に、目から鱗って・・・(笑)

でも、そこがスタートと思っていたら、もっと、気楽に生きられたり、
感動が大きかったりするのかも知れないですね。
この世に生を受けた事だけで、幸せ〜なんて・・・
何だか、新興宗教のうたい文句みたいですが(笑)

亀山早苗 2010年05月19日(水)19:04

330さん
ご存じないですか・・・と書いたのは
「そんなことも知らないの?」という意味ではありませんからね〜。
誤解しないでくださいね。
世代的なことを言いたかったのです。

私は昭和35年の生まれですが、この世代って、
その前の世代と文化や生活が似通っているのですよ。
団塊世代となら通じる話が、ちょっと下の人とは通じない。
私の2歳下の人は、給食にご飯が出たというのですが、
私は給食で米を食べたことはありません。
むしろ脱脂粉乳にかすかな記憶が・・・。
よく東京オリンピックを境に、すべてが変わったと言われますが、
そうなのかもしれません・・・。
昭和35年って、まだまだ戦後を引きずっていたのでしょうね。
「もはや戦後ではない」と言われたのは昭和33年でしたっけ・・・。
そういえば「吉原」がなくなったのも昭和33年でしたね。

HANA 2010年05月19日(水)20:11

私たちくらいの年代は、いろんなことの切り替え時期だったのかもしれないですね〜。
私は、映画というものにあまり興味がなかったせいもあって、ATGは知りませんでした。
けれど、西田佐知子は知っています。
給食の話を高校時代の同級生としたら…
同級生なのに、私は脱脂粉乳をのんだことはなくて、ほかの友人はのんだと言っていました。
ご飯は出ました。
今でも、地域によって(たとえ同じ都道府県でも)多少の差はあるみたいですが、
昔もそうだったのでしょうね〜。
でも、しっかり昭和っぽい時代を生きてきたなぁ。と思いますね。
よくも悪くも、今とはずいぶん違います。
スピードの違いなのでしょうかね。

むふっ。しょーもない人生ですか〜。
ま、それもいいのかもしれませんね。
私は、人生がどうかはわからないけれど、しょーもない私…です。
しょーもないところからのほうが、気楽だし、
何かひとつでもできるとプラスになった!と思える特典があります。

一昨日は、のんびりニタニタ…と思ったのに、横になった瞬間、眠ってしましました。
しょーもない私だわ…本当に。

ニュースで、不倫の男女の事件がふたつも伝えられていますね。
責任なんていうことは考えていないのか、
相手に対する大事なことが間違ってるんじゃないのかな?と考えさせられます。

330 2010年05月19日(水)20:31

早苗さん、そんな風には、思ってませんよ〜^^
何の事なんやろう?と、素朴な疑問でした。
ATG映画、邦画には詳しい夫も、分かりませんでした。

私は、40年生まれですが、脱脂粉乳は飲んでないです。
米飯給食は、京都市では、53年度導入だったので、私が、中学に上がった時でした。
弟が、羨ましかったのを覚えています。(給食のパン、パサパサで苦手でした)
でも、大分の山奥で育った37年生まれの夫は、パンの日が週一回だったらしく、
パンの給食が、楽しみだったそうです^^;脱脂粉乳は、飲んで無いと言ってましたが・・・
夫の、5才上の兄は、飲んでいたそうです。
自治体によって、違うのでしょうね。

東京オリンピックは、昭和39年でしたから、私は、その後生まれですね〜。
でも、何だか、早苗さんの育たれた頃って、ほのぼのしていて良いです。

「吉原」が無くなった年を知っておられるのが、
早苗さんらしいです〜。

かおり 2010年05月19日(水)23:39

私も ATG映画ってなんだろう? と思いました。
年齢は分かっている(笑)はずですので あえて言いませんね。

映画は好きで よく観に行っていましたが洋画ばかり。
邦画の会社だったのですね。
私は東映とか大映とか東宝とかの時代しか知らなくて
そんな知識しかなくて・・・・アート系な映画って観てみたいです。
題名とか教えていただけたら うれしいです。

給食は小学校だけの経験ですが 後半は牛乳出ましたよ。
脱脂粉乳は飲んだようだけど 覚えてなくて
ご飯はたしか出なくて 時々出る「揚げパン」が美味しかった!
休むと近くの友達が連れ立って パンを届けてくれて
そんな まだ物のない時代だったんですね。

東京オリンピックも良く覚えていて
昭和の真ん中で 家にテレビが来たこと 冷蔵庫が来たこと
電話が入ったこと オートバイも車も 我が家は新し物好きだったらしく
けっこう早くに近代化した家でした。
それまでは 近くの氷やさんまで氷を1貫目(?)買いに行って
お鉢に入れて その上にトマトを入れて冷やしたりしてました。
テレビでは力道山が活躍してて 大鵬が出てきたり
お菓子は量り売りだったし 鼻たれ小僧はいたし(笑)

いい時代だったなぁ〜と 今は思っています。

亀山早苗 2010年05月20日(木)00:36

うむ・・・ATGってマイナーだったのかなあ。
映画好きの間では語るに欠かせない会社だと思っていたけれど。
60年代は配給が多かったのですが、それもアンジェイ・ワイダ、
トリュフォーなどすごい監督の作品ばかり。ベルイマンはほとんど配給してますね。

66年に三島の「憂国」、68年には私が邦画最高傑作のひとつだと思う「肉弾」「心中天網島」、
「薔薇の葬列」が映画化もされました。
71年「書を捨てよ町へ出よう」、74年「竜馬暗殺」
以降も「祭りの準備」「青春の殺人者」などなど、ほんっとにたくさんあります。
80年代は「ヒポクラテスたち」「ツィゴイネルワイゼン」「お葬式」などなど。
興味のある方はウィキで調べてみてください。
錚錚たる監督達が,錚錚たる映画を撮っていた時代です。

東京オリンピック、私もかすかに覚えています。
白黒14型のテレビが来ましたっけ。
アベベはあのとき靴を履いていたのですよね〜。
電話は私が8歳のとき。
当時は、テレビのプレゼントでもなんでも、
「住所氏名、電話のある方は電話番号」とよく言ってました。
(呼)もけっこうありましたものね。
氷は売りに来てたなあ。

そうそう、学校休むとパンだけは友だちが届けてくれましたね。
かおりさん、私も揚げパン大好きでした。
コッペパンの揚げパンでした。

HANAさん
不倫問題ふたつ・・・って?
ひとつは医者の件ですよね。
もひとつ、不倫の問題あってありましたっけ??

亀山早苗 2010年05月20日(木)00:43

連投失礼。
HANAさん
わかりました、大阪の会社役員の件ですね。
うーん、しかし・・・。
別れりゃいいだけのことなのに、なぜ殺すかなあと思いますよねえ。

医師のほうの件、「不同意堕胎罪」という言葉を初めて聞きました。
どちらも保身のための行為なのでしょうけど、
やったことがばれたら、不倫どころの騒ぎじゃないと
どうしてわからないのかしら・・・。