No.3248の記事

1月31日〜

新箱です

亀山早苗 2011年01月31日(月)01:54

1月も今日で終わり。
まだまだ寒い日が続きそうですし、
インフルエンザも今週がピークとか。
気をつけてがんばりましょう〜。

サッカー、おもしろかったですねえ。
李選手、親族に反対されつつも日本人になったとか・・・。
どちらの国にも恩返ししたい、なんて泣けます。
歴史は歴史として踏まえつつ、やっぱり近隣諸国とはうまくやっていきたいし、
文化の違いをもっと知って楽しめたらいいなあ、なんて思います。

亀山早苗 2011年01月31日(月)01:58

連投失礼。
MVPは本田選手でしたが、隠れMVPは長友選手じゃないかなあ・・・。
なあんて友だちと話しています。
おんなじ大学出身ということもあって、どうしても応援したくなります。

white gate 2011年01月31日(月)14:08

HANAさんと早苗さんの書き込みを見て、
「確かに、なにかにつけ、意味を見出そうとしてるわ、私前後の世代」
とハッとしました。
「自分探し」というのがやたらと流行ったのも、今に始まったことではなく、
2000年前後の就職氷河期世代からなんですよね…(いやもっと前かもしれないけど)。

「アンタはこうよ」
「これはこういう意味なのよ」

と言われたところで「アタシはそんなに幅が狭くなーい!」と反論するのがオチですし。
意味づけを求めるくせに、決め付けられると腹立たしい…。
生きる意味だのなんだのをあまり考えない、考える必要性のない世代と、
何かにつけて意味づけを求める世代の、その違いは一体何が原因となっているんだろう。
純粋な疑問です。

どうでもいいことですけど、スピリチュアルが流行るのも、意味づけの一環なのかなぁとふと思いました。
占いなんかで「これはこうなる」といわれると、一時的に安心する・・とか。

所詮は自分で考えて行動するしかないんですけどね。

合気道、昨日、朝のけいこに行ってきたんですが、すこしからだが慣れてきました。
でも、手の細かい動きが難しい。
センパイ方に伺うと、「考えているうちはダメだよ」とのことでした。
動きはまだまだですが、集中していると雑念はなくなります。
夫の実家(畳があるので)に行って前受身の稽古、
自宅で布団の上で前受身と後ろ受身の稽古…。
肩にアザができました。
お風呂のときに
「どーして肩がまっかっかなの〜?」
と聞かれ
「合気道の受身の練習をしたからだよ。いっぱい打つと赤くなるの」
と答えたら
「どーしてうけみのれんしゅうをするとアザができるの〜?」
と、質問延々・・・・。

3歳児の質問力には勝てません。

HANA 2011年01月31日(月)20:03

いや、考えないのではありませんよ〜。
いろんなことを考えます。穴があくほど。
でも、考えてもどうしようもないこともあると、思えるということです。
私も若いころ、『どうして私は存在しているのか』は考えました。
でも答はわかりませんでした。
すべて(とまでは言わなくても…)のことに意味があるわけじゃない
あるいは意味はあったとしても、わからない、
そんな曖昧なこと、ものがあっても不思議ではないと思う。
ということだと思います。

自分のいる意味なんて…。
私はそんなにえらい立場でもないし、有能な人間でもないから、
私がいなくても、世の中はちゃんと回っていきます。
だけど生まれてはきたのですよね。
存在意義なんて、あってもなくても。
あとは自分がどういう生活をするか、したいか。
それだけの話なのではないかな〜と思います。
誰も私に注目しているわけじゃないのだから、
好きにしていればいいのです。

小さい子どもの『どうして』攻撃、最初はおもしろくて
相手をしていても、最後には『んもぅ〜!どうしてもっ!』って
言いたくなります。
でも、それだけ知恵がついたということです。
かわいいけど、うるさい!お年ごろですね。

HANA 2011年02月01日(火)08:46

サッカー、週があけて選手たちが帰国して
まだまだ感動さめやらず…という感じですね〜。
昨日も今朝も、サッカーの話題がテレビをにぎわせています。
私はほとんど興味をもっていなかったスポーツでしたが、
このところの日本チームには、ワクワクします。
個人技もさることながら、チームの仲間『みんな』で…という意識や
仲間を信頼することで、いろんな力が湧いてきていますよね〜。
早苗さんが書かれていた長友選手、何やらとっても有名なチームに
電撃移籍が決まったそうですね。
ほかの選手たち、試合に出られなかった選手たち…みんな素敵!でした。

月がかわって、今日は暖かくなるそうです。
寒い1月、長かった〜。
ちょっとホッとします。
早苗さんも、今日のお出かけはストッキングでも寒くないかもしれませんね。

亀山早苗 2011年02月01日(火)22:12

長友、インテル移籍!! すっご〜い!!
レギュラーがとれるかどうか、がんばってほしいものです。
左のサイドバックでレギュラー獲得となり、活躍できたら・・・うれしいですぅ。

そうそう、サッカーでもバスケでも、シュートを決めた人だけがエライわけじゃなくて、
そこに至るまでつないだ人、守った人、みんなすごい仕事をしているんですよね。
お互いの信頼感がなければ、チームプレイはできない。
それぞれが尊重しあわないとゴールに至らない。
そういう意味でチームプレイは、見ていて楽しいです。

white gateさん
私も悩みましたよ〜、高校入学当時から20代前半、本当に苦しかった。
自分の生まれてきた意味、存在について悩み、苦しみ、
哲学書や文学を読みあさり・・・でも答えが出ず・・・。
暗かったな〜、あの日々は。
それは青春時代の悩み、と言われるものそのもので、今思えば、
青いなあと笑えるのですが、じゃあ、あの日々に回答が出ているのかと
言われれば、答えようがありません。

ただ、HANAさんと同じように、そんなこと考えていても答えは出ない。
自分がやりたいことをやるしかないんだ、というふうになっていきました。
その後、仕事や私生活でいろいろな人と交わり、話していく中で、
今、私が思うことは、「自分のことだけ考えていても、自分のことはわからない」ということ。
他者に交わっていくうちに、自分のこともわかっていく。
ところが、自分のことがわかるにつれ、それって何? 別に自分のことがわかったって、
何ができるわけでもないじゃん、と思うようになっていきました。
これからは、自分が楽しめてなおかつ、他人の役にも立つようなことができないかなあと
考えています。

存在について考えるのはいいけれど、そこに「価値のあるなし」という基準を
持ち込むことは意味がないと思います。
だって、すでに存在しているのですから。
心底、「自分がいていいのだろうか」と思っている人間は、
恐怖感で子どもをもつことはできません。
子どもをもったということは、すでにwhite gateさんが
自分を認めているという証拠だと思いますよ。
もっと自信をもっていいはずです。

亀山早苗 2011年02月01日(火)22:17

連投失礼。

「自分探し」という言葉が本格的に流行したのは、
バブルが弾けて以降かもしれません。
ある人が、「ねるとん世代」の自分探しはブームに過ぎなかったけれど、
「あいのり世代」のそれは深刻だった、と書いていました。
私はおそらくねるとん世代ちょいと前だと思います。
就職氷河期だって、バブル崩壊以前だって、何度もありました。
だけど、誰も「自分探し」なんて言わなかった。
あれは、なんだか言葉の綾みたいなものに、
みんながひっかかっちゃったような気がしますね〜。
「癒し」も同じですけれど・・・。
「癒されたい」だの「感動をありがとう」だの、
気持ちの悪い言葉が流行っていて、なんだかな〜といつも思っています。

人は時代の空気を無関係には生きられない、というのが持論ですが、
なんだか気持ちの悪い言葉には、騙されないようにしようと個人的には思います。

かわせみ 2011年02月01日(火)23:31

この10日間ほど、ひどい風邪で寝込んでました。
インフルエンザはワクチン打ってたので安心してたのに、ただの風邪でこんな苦しむとは、とほほです。

white gateさん

少し落ち着かれているようで安心しました。
声を抑えて話すということの意味、実は少々違うんです。
どんなに静かに話しても、相手のフィールド内で対決しちゃ効果ないの。
静かに語るべきことは、自分の感情や想いです。支離滅裂でも何でもいいの。
子供がただこねてる横で、ただ、「お母さんは悲しいわ。とっても悲しくて、ご飯作る気力も出ない。」なんてね。
対決モードに入っちゃったら、特に子供はその勝敗にしか目が行かなくなっちゃうのね。
相手が自分の大切な人なんだってことも忘れちゃう。
ご自分の気持ちを率直に表現することで、相手に自然と気づかせるのが一番だと思うのよ。

子供の質問攻撃も、簡単に答えを与えないほうがいいです。辞典代わりにこき使われちゃうわよ。
子供が自分で答えを見つけるように誘導しましょう。
質問をそのまま返す形がいいと、よく言われます。
「どうして○○は××なの?」
「○○は××なの? それいゆちゃんはどう思う?」
って具合です。
子供の質問って、実は案外奥が深いものが多くて、正確に答えられる大人って少ないです。
なぜ受身をすると痣ができるか、それだけのことでも、大人にとっては当たり前ですむけど、じゃあ、痣ってなに?
大人は教える側だと思っていると足を取られます。
一緒に考えてみようとすると、結論出なくても子供も納得できるんですよね。
昔、TBSラジオが「全国子供電話相談室」ってのをやってました。今もあるかしら?

自分の存在の意味、思春期にはよくはまるテーマですよね。
でも、自分探しってのはもっと年齢がいってからはまるものだと思ってました。
スタートするための方向付けと終盤の纏め上げって感じで。
最近はそうでもないのかな・・・。
まあ、どちらもそれだけの余裕がある人のやることだと、私は思ってたけど。
その日その日をがむしゃらに生きてると、そんな余裕ないかったような気がします。
いや、実はそういうおつむがなかっただけかな。あはは。
 

亀山早苗 2011年02月01日(火)23:50

かわせみさん
大丈夫ですかあ? 今年は寒かったから・・・お大事にしてくださいね。

そういえば私の母は、声を張り上げることがありませんでした。
私がキーキー泣いたりしてると、にこにこしながら、「お上手わね〜」って
言っていたそうです。
私は「お上手くないもん!」ってごねてたらしいけど、
そのうち、子ども心にばかばかしくなってごねるのをやめたようで・・・。

子ども電話相談室、懐かしいですねえ。
無着声恭さんの声と顔が浮かびます。

年齢がいってからの自分探しは、またちょっと違うのかもしれませんね。
青春期の漠然とした悩みよりは、もう少し具体的な感じがします。
私も、そろそろまとめを考え始める時期かな〜と思っていますもん。
確かに、必死に動いてないとご飯も食べられないという状況にある人にとって、
存在意義なんて考える暇はありませんね。

私は、林芙美子が、久々に、熱い秋刀魚をご飯に乗せて食べたとき、
「もう少し生きていてもいいかと思った」という話が大好きです。
そういう人は強いです。

びょんほん 2011年02月02日(水)01:36

書きっぱなしですみません。
読んではいるのですが、なかなか書けなくて。

white gateさん、HANAさん
ありがとうございます。
すぐ辞めてしまったりいろいろありましたが、
拘った甲斐があったなと思います。

早苗さん
私、仕事することに固執してない人だと思っていたんですけどね〜
稼ぐ必要がなかったら、専業主婦でも窮屈に感じなかったし。
仕事して人と関わる楽しさを知ってしまったからでしょうか。
自分にも自信持てますし。

長友は本当にいい選手ですね。インテルに移籍って話にはぶっ飛びましたけど^^;
あのスター軍団の中でどうやっていくのか、楽しみですね。
日本でJリーグが発足して、幼い頃からサッカーが身近にあるという環境で育ってきてる人が
どんどん増えてきて、確実にレベルアップしてくると思いますよ。
長友のような骨のある選手は少ないかもしれませんけど。
南アフリカW杯で何かが変わったという片鱗は見えてきてましたけど、逞しくなりましたね、日本。
選手達のチーム力、ザッケローニ監督の采配も素晴らしいです。

声を荒げずに・・真剣に夫に、別々に暮らした方がいいんじゃないか、という話をしたら、
ケンカの時とは違って、向こうも真剣に聞いてくれましたよ。
夫くんの答えはNOでしたけどね。
悪いところは直していくから続けたいと。
私は譲歩してまで続ける気力がもうなく、娘と気楽に暮らした方がいいと思ったのですけどね。
夫が頑張るというなら・・それを見ていこうとは思います。

HANA 2011年02月02日(水)08:40

早苗さんの子ども論、私もわかるような気がします。
私は産むことになりませんでしたが、
産むということに対しても、考えた時期がありました。
私の遺伝子(夫も含めてですが)を受け継ぐ子というのは
少なからず似ているのだろうなあ…と思うと
言葉がうまく見つかりませんが、ちょっと拒絶に近いきもちもあって。
それだから神様は私には産ませなかったのかな〜と
漠然と思ってみたりもしました。

子どもって、結婚すると当たり前のように産む人が多いようで
そこまで考えないのでしょうけれど、
それはそれで、無意識に自分を認めていることかな〜と思うと
子育ても、悩みながらも『私もこんなだった』などなど
思ったりしながら、全うできると思うし、してほしいとも思います。

かわせみさん
どうぞお大事に。
インフルエンザの予防接種をしていてもインフルエンザにかかるそうですね。
ただ、重症にならないだけ…だとテレビで言っていました。

私は注射だいっきらい!なので予防接種はぜーったいに
しませんが、インフルエンザにかかったことが
一度もないのです。
おトクな体質なのだと思います。

HANA 2011年02月03日(木)10:12

ちょっと暗くしてしまいました…。

white gateさん、仏陀は『生老病死』のどれもが苦だと
言ったそうです。
私はどんな宗教も信仰してはいませんが、
仏陀には興味はあります。興味があるだけで、知りはしませんが。
今、本屋さんなどで並んでいる『一個人』という雑誌が
仏陀のことを書いています。
数百円ですから、ちょっと読んでみてはいかがでしょう。
大昔の人も同じように悩んだり考えたり、苦しんだりしてきて、
それぞれがそれぞれの方法や度合いで
何とか自分に言い聞かせたりしてきているのが
生きることをはじめとしたことなのだと感じます。
自分だけじゃない、ということですね。

今日は節分、鬼は〜外〜!で、
いいこと、楽しいことがたくさんの一年になりますように。
旧暦で、今日が一年のおしまい、季節の分かれ目なのだそうです。

亀山早苗 2011年02月03日(木)23:07

いや、HANAさん
私も自分の遺伝子を残すことに、やけに拒絶感がありました。
結婚したら子どもを産むものだ、と素直に思えればよかったんですけどね・・・。

生病老死 愛別離苦、合わせて四苦八苦。
どうせ人生、どう生きたって四苦八苦じゃないでしょうか。
だからこそ楽しみたいです。
新しい1年の始まり〜ですね。