今日は仕事を適度にかたづけて、本を読んだ。
「剣と寒紅」という、三島由紀夫とこの本の著者との交流の物語だ。
たまたまある人と三島の話になり、三島自身の著作と同時に、
関連本であるこの本も読んだ、というわけ。
私にとって、三島由紀夫という人は特別な作家だ。
高校生のころ三島にはまり、登校拒否になった。
飛躍があるような文章だが、つまりは三島の「死の美学」に
はまってしまったといっていい。
ずっと死んでしまいたい、と思っていたし、死の時期を選ぶ権利がある
などとも思っていた。それには高校など必要なかった。
だが、私はあのとき確かに、死の誘惑にとりつかれながら生を選んだ。
その後も三島は大好きで、純粋に文学として読み、
いろいろ考えさせられてきた。
このところ、少し離れていたのだが、再び接するタイミングが
きたということのようだ。
気づいたら、三島は今の私と同じ年で、あの事件を起こし、
割腹自殺をしたのだった。35年前になる。
彼は何を求めていたのだろう。
男らしく、武士として死にたかったのだとしても、
そこへ至る彼の心のプロセスは、どんなふうだったのか。
考えてもしかたのないことなのだが、同じ年齢でああいう死に方を
したと思うと、なぜか気になってしかたがない。
私は運命も宗教も信じていない。
この人と会うために、あの人と別れたのだ、というような
考え方はあまり好きではない。
だが、確かに人生においては、
出会うべきときに出会うべき人に会ってきた、と思う。
「運命」に浮かれたりはしないけど、どんな「縁」も
やはり大事にしたい、と感じている。