No.110の記事

大きなことから小さなことまで

人にはいろいろなコンプレックスがある。
人生を左右しかねないくらい大きなものから、
他人が聞いたら「たいしたことない」と思うようなものまで。
それでも本人にとっては、一大事だったりする。
年齢を経るにつれて、コンプレックスはあっても自分とはつきあって
いかないといけない、という結論に達していくのだが、
それでもなかなか脱しきれない傷もある。
年をとって改めて甦ってくる傷もあったりする。
すべてにおいて、日にち薬が効くとは限らない。
一生、背負っていかないといけないような重荷を人に
打ち明けるのは勇気がいる。
ひょっとしたら、その人との関係が壊れる可能性もなくはない。
それでも、墓場まで持って行こうと思っていたことを、
この人なら、とひょいと打ち明けたとき、
とても気が楽になったことに気づいたりする。
打ち明けられたほうは重くてしかたがないかもしれないので、
迷惑をかけることになる恐れもあるけれど。
だけど、気が楽になりたくて打ち明けたわけじゃない、と
言ったあとで気づくものだ。
この人に受け止めてほしかったのだ、という事実だけが残る。

無意識のうちに、人は人を観察して、
この人なら、という思いで話をしているのかもしれない。
ただ、もちろん、見誤ることはいくらでもあって、
豪放そうに見えた人が意外と繊細だったり、
繊細そうな人が、意外と大胆な決断をする人だったり・・・。
人を見る目、なんてそう簡単に養えるものではないけれど、
とことん人を信じてみるのもいいかもしれない、と思う今日このごろ。

今日は敗戦記念日。
私はもちろん、戦争を知らない世代なのだけど、
この日は「終戦記念日」より「敗戦記念日」のほうがぴんと来る。
あの時代、なぜこの国は戦争に突き進んでしまったのか。
他に方法がなかったのか。
私の母は、東京大空襲で逃げまどった世代だ。
焼けこげた死体をまたいで逃げたという。
私の叔父にあたる人も戦死している。
無差別に人が死んでいく、殺されていく。
そんなことがあっていいわけがない。
日本は平和ぼけだから戦争したほうがいいんだ、なんて
言うヤツがいると、私は殴りたくなる。
どんなに理屈をこねくり回されようが、戦争をしてはいけない。
加わってもいけない。
60年という節目の年に、誰も彼もがそう誓ってほしい。
青いと言われてもかまわない。
繰り返される戦いの歴史の中で、本当の勝利者がいた試しがあるのだろうか。