突然、ある歌を思い出した。
チューリップの歌だ。
「わがままは男の罪〜、それを許さないのは女の罪〜」という出だし。
タイトルを忘れてしまった。
『虹とスニーカーの頃』? 違うか。
高校生のころ流行ったのだが、当時はこれを聞いて、
私はけっこうぷんぷん怒っていた。
若かったな〜。
でも、ぷんぷん怒っていた自分も悪くない。
若いのに、この歌の歌詞がわかったら怖い。
シンプルな言葉だけど、この歌詞は味わい深い、と思う。
私はフェミニストだと思われがちなのだが、
全然、そんなことはなくて、存在として男女は等しいけれど、
男は男、女は女であってほしい、そうありたいと願うタイプ。
なんせ、世の中、もっと色っぽくなればいいと思っているのだから。
程度問題ではあるけど、男はわがままでいい。
あー、違うな。今気づいた。
好きな男にはわがままであってほしい、という願望があるのかもしれない。
女をちやほやするよりは、ちょっとわがままでいてくれる男のほうが好ましい。
そんな男のわがままをちょっぴり恨みながらも、許してしまう女でいたい、
というのが本音かもしれない。
それでいて、どこか男の背中をぐいと押してあげたい。
そういう存在でいたい。
エディット・ピアフというシャンソン歌手がいた。
彼女は恋多き女だったが、自分が地位を築いてからは、
若くて実力のある男性歌手たちを、どんどん世に送り出した。
まれにみるプロデューサー能力のある女性だったのだ。
もちろん、若い彼らに恋もした。
だが、彼女は、彼らの名前が世に出ると、自分から去っていくのだ。
その潔さは、ものすごくかっこいい。なかなかできることじゃない。
ついでに・・・昨夜、深夜のテレビで、梅沢富美男の「夢芝居」を聞いた。
これまたなつかしい。
私も一時期、大衆芝居にはまって、都内の小屋を巡ったものだ。
梅沢一座が、まだ十条の小屋で芝居をかけていたころだ。
そのうち有名になって、小さな小屋には出なくなってしまったけれど。
この中で好きな歌詞。
「男と女、あやつりつられ、細い絆の糸引き引かれ
稽古不足を幕は待たない 恋はいつでも初舞台」
恋なんて、自分の意志でしているようで、実は見えない糸に
操られているのかもしれない、と思ったりする。
それはそれで、なんだかいいなあ、とも思う。
誤解と錯覚、魔法のなせるわざ、恋に関してはいろんな言い方があるけれど、
始まりもプロセスも、おそらく意志だけではどうにもならない。
恋に意志が存在するとすれば、きっと結末だけではないだろうか。