人間関係で、自分の気持ちを伝えるってとってもむずかしい。
なぜむずかしいかというと、同じ言葉を同じ感情でとらえるとは限らないから。
言葉は言葉に過ぎないし、ある種の符号にしかすぎない。
もっと大事なのは、その言葉に隠された心情であるはず。
だけど、それを伝えるのに、また言葉を駆使しなければいけない。
かと思うと、じっと目を見ているだけでわかりあえることもあるのに。
言葉が正しくて、感じることが錯覚というわけではないし、
その逆もまた真実とは限らない。
何を信じればいいのか、というと、
最終的には、おそらく相手の存在そのものなのだろうと思う。
存在そのものが確かなものと思えれば、細かいことなどどうでもいいのかもしれない。
どうでもいい、というのは逃げの意味ではなくて、超えていけるということだ。
三島由紀夫は、精神は肉体を超えられない、と言った。
ある意味では私もそう思う。
たとえばいくら外国に思いを馳せても、肉体がそこへ行ってみないと、
実際に行った感覚、感情はわいてこない。
そういう意味ではそうなんだけど、
言い換えれば、精神は肉体を超えて自由である、ともいえる。
肉体は動かなくても、精神はどこまでも動けるのだから。
だからこそ、人間はよけいなことを考えるし、不安になるし、
漠とした恐れを抱いたりもする。
雨のそぼ降る秋の夜長は、私もとりとめのないことばかり考えてしまう。
友人に、「あなたは自分の人生に何を求めているの?」と聞かれて、
私はなにも答えることができなかった。
なにも求めていない、とはいえないが、
これといって求めているものがあるともいえない。
お金とか名誉とか平穏無事とか、男に愛されること、とか美とか、
はっきりしたものがあると迷わないですむのかなあ。
別に迷っているわけではないのだが・・・。