6日、テノール歌手のパヴァロッティが亡くなった。ここ10年くらいは、活動らしい活動はしていなかったし、私自身、パヴァロッティが大好きな歌手というわけでもないのだが、それでもやはり、どこか「時代が終わった感じ」は否めない。
それにしても、一般的な表記が「パバロッティ」になっているのは解せない。オペラファンにとっては、パヴァロッティでなければ・・・。
彼をナマで聴いたのは、NYのメトと来た「愛の妙薬」だった。あの底抜けに明るい声、愛嬌のある態度は、ネモリーノそのものだったような気がする。
三大テノールの活動にはあまり興味がないので、コンサートには出かけたことがない。
マイクを使った大規模なコンサートが、果たしてオペラ歌手としてはどうなんだろう、と思っていた。
今、チューリッヒ歌劇場が来日中だ。
「ばらの騎士」と「トラヴィアータ」を聴いた。
ばらは可もなく不可もなく、といったところか。
演出があまり気に入らなかった。やはりマルシャリンには、もっと毅然としていてもらわないと、悲しみが感じられなくなる。
むしろ、トラヴィアータは久々のヒット。
エヴァ・メイのヴィオレッタは、決してあばずれてなく、1幕目から「むなしさ」がつきまとう。
そして2幕目、アルフレードの父親が来て、別れるよう説得されるシーン。レオ・ヌッチのジェルモンは、上からの目線で威厳的というよりは、息子を思うあまり、という感が強い。
決して彼女をさげすんでいないという演技だった。
圧巻は、「お嬢さんに伝えてください」というヴィオの歌。ここでエヴァ・メイは突如、最弱声に落とし、静かに静かに歌っていく。
ヴィオレッタの「悲しい諦め」が伝わってきて、珍しくこのシーンで号泣。
演出がオーソドックスでほっとした。
最近は序曲で、いらんことしたり、
最後はすべてヴィオレッタの幻想だったようにしたりと、この演目で苛立つことが多かったから。
オペラを演出で見せるのは無理があるように思う。
これに関しては、私は保守的だ。
なぜなら、オペラの神髄はやはり歌とオケだから。
演技、演出はあくまで二次的なものでしかない。
トラヴィアータは、矛盾も多く、実はツッコミどころ満載のオペラなのだが、歌と演奏でねじ伏せてくれれば、文句を言うことも忘れるのが聴衆というもの。
それを改めて感じさせてくれた、チューリッヒのトラヴィアータだった。