言い訳めくが、忙中閑あり・・・というか時間は作り出しひねり出すものなのかも。
午前中から仕事、という珍しい日々が続く中、
昨日は池袋演芸場へ。大好きな菊之丞と市馬の二人会。
菊之丞さんは、女性ファンが多くて大人気。
「元犬」「付き馬」の2席。いやー、うまいなあ、本当に。
話の運びが非常にスムーズで、なおかつ魅力的。
すんなり噺の中に入り込めてしまうのは、彼の天賦の才なのか努力の賜か。
非常に芝居的な噺の作り方をする人だ。
今日も午前中から仕事、その後、有楽町朝日ホールの名人会へ。
お目当てはトリの小三治。
噺は「小言幸兵衛」。これまた絶品。
荒唐無稽の滑稽な噺なのに、妙なリアリティがあって涙が出るほど笑った。
この人は存在自体がすでにおかしい。
自分の世界に引っ張り込む吸引力がある。
高座に上がって、客を見渡して「えー」と言ってお茶を飲む。
その姿がもう、なんだかおかしいのだ。
だが、噺家ってのは不思議なもの。
どんなに他の客が笑っていても、なぜか声がイマイチ好きじゃないとか、
微妙な間が好みじゃないとか、些細なことで好き嫌いが分かれてしまうように思う。
これは歌舞伎役者なども同じだけれど。
みんなが「うまい」と言っていて、客観的にはうまいとわかっても、
好き嫌いはまた別の話なのだから。
男女のことも同じかもしれないが・・・。
好みってのは不思議なものだ、とつくづく思う。
仕事でばたばた・・・歌舞伎座のチケットを無駄にしてしまう。
あー、楽しみにしてたのにぃ。
ついさっき、ほっけの一夜干しを焼いた。
なんとなく小腹がすいて、やけに魚が食べたくて。
夜中にほっけの開きを焼いて、ひとり食べてる女って・・・こわ。
でも、とーってもおいしかった。
26型デジタルテレビ、WOWOWも3局になってなかなかの見応え。
投稿者:さなえ 投稿日:2005/04/20(Wed) 23:40
今日は冷たい雨の降る一日。
6時起きして8時に家を出て仕事へ。ラッシュの電車は咳、また咳。
ふだんあんまりラッシュの電車に乗らないので、それだけで疲れてしまった。
なーんて贅沢な言い分だけど。
そのあと、仕事の下調べのために行こうと思っていた場所があったのだけど
寝不足と冷たい雨に気持ちが萎えて、
なぜかヨドバシカメラへ。
やっちまった・・・液晶デジタルテレビを買ってしまったのだ。
どうしても液晶デジタルでなければいけない、というわけではなかったのだが、
通常の液晶だと20型までしかないし、もうブラウン管テレビはほしくないし。
寝不足と寒さから判断力が鈍り、ついつい・・・。
そういえば、数年前、寝不足と寒さ(そのときは雪だった)から、
なぜかデジタルカメラを買ってしまったことがあったっけ。
どうもこのふたつの条件が重なると、私はデジタル系に走るようだ。
とりあえず見られる番組も増えたし、悪くはないけど。
贅沢な買い物を、ちゃんとした葛藤もなく買ってしまったことが
なんとなく後味悪いというか・・・。
でも今日買わないと、おそらくゴールデンウィーク明けまで買えない、
届けてもらうにもどうにも時間が合わないという状況だから
しょうがないっか。と、ひたすら自己正当化に努めている。
今日はまじめにお仕事の日だった。
午後から夜にかけて、3本の取材。
どれもおもしろかった。
以前、取材させてもらった医師が、「仕事は楽しく、遊びは真剣に」と
言っていたのだが、私も同感。
テレビはまだ画面真っ黒のまま。
買うより直そう、と心に決めたものの、修理を頼む電話もできず。
そろそろストレスがたまりそう。
ニュースを見られないのがつらい。
今日は大好きな友人カップルと3人で新国立劇場のオペラ「フィガロの結婚」へ。
実はウィーンで正統派演出のフィガロを見てきたばかりなので、
気分的に萎えないか、自分でも不安だった。
友人カップルはオペラ初心者、彼女のほうは初めてということだったが、
「アンサンブルがおもしろい」とか「生の音楽がすごい」とか、
しかも演技と歌のことまで言うので、その鋭さにびっくり。
彼のほうもモーツァルトを始め、オペラはなぜ現代にまで生き残ったか、という
話をするなど、私もオペラを見始めた当時の新鮮な感情を思い起こすことができた。
正直、オケは(指揮の問題か)ちょっとたるかった。キレがない。
伯爵にはもうちょっと威厳がほしいとか、細かなことは多々あったが、
全体としては、やはり前シーズンの再演だけあってよく練れていた。
友人たちはとても素敵なカップルで、大好きな人たち。
彼らが楽しんでくれたようだったのが、なによりうれしかったし、
そのあとの食事の楽しかったこと。
初めてオペラを観たのは、もう17年ほど前になるだろうか。
私は音楽的素養もないし、特にオペラの歴史を勉強したわけでもないので、
まったく自分の勘だけを頼りに「好き嫌い」を感じてきた。
数年見ただけでも評論家のような感想を述べることができる人もいるのに、と
思うと、勉強不足が情けなくなるが、もともと勤勉でないのでしかたがない。
それにオペラはやはり私にとっては、なにより「人間ドラマ」であることが
最優先。人間の情や業が描かれているものが好き。
今日のフィガロで、私は不覚にも、伯爵夫人の孤独を感じて涙ぐんでしまった。
若く愛しあっている、今日結婚するふたり、
「あの愛はどこへ行ってしまったの」と嘆く伯爵夫人。
最後はハッピーエンドとはいえ、あの伯爵のことだから、きっとまた女性を
追いかけ回すはず。
まあ、でも今日の舞台の雰囲気では、
わりと「耐える女性」という感じではなかったけど、
それでも若さを失いつつある女性の本質的な孤独感、
というのに深く共感してしまった。
それだけ私も年をとったということだろう。
若さだけにしがみつくつもりはないけれど、若さには確かに、そこにしかない
輝きがある。若いときにはそれに気づいていないところが、なんともいえないけれど。
私自身、若いときは「若さ」が嫌だった。
人間って、なかなか合理的には生きていけないものなんだなあ、と痛感。
今日も風邪っぽくて調子はイマイチだけど、どうやら熱は下がったようなので
立川談志一門会を聴きに、吉祥寺の前進座劇場へ。
前座もそのあとの噺家さんたちも、どうもイマイチ、私にはぴんとこなかった。
そしてお待ちかねの談志。
最近、私はこの人の噺を聴くと、なぜかピカソのキュビズムを思い出す。
通常の噺に飽きて、噺をばらばらと分析して楽しんでいる世界。
何を言っても、持ち前の愛嬌で許されてしまうところがあるから、
ブラックジョークもそれほどきわどく感じられない。
客も「談志だから、笑っておかなければ」という強迫観念があるように思う。
かつて古典を、古典とは思えないような現代感覚で、
それでいて、すばらしい古典として聴かせた、あの談志はもういないのかな、と
思ってしまう。
自分でも通常の落語会では浮いてしまう、と言っていたけれど、
別世界へ行きつつあることがいいのかどうか・・・私も悩んでしまった。
こぶ平が正蔵を継ぎ、ドラマでタイガー&ドラゴンなどをやったりして
落語がブームになりつつあるような印象を受けるが、
今現在、客が聴きたい落語はどういうものなのだろう、
噺家が聴かせたい噺はどういうものなのだろう。
歌舞伎のようにきっちりした型があるわけではないだけに、
噺家と客が真剣に考えていかないと、落語は後世には残らないかもしれない。
そんな危機感がある。
ま、私が危機感を抱いてもしょうがないんだけど・・・。
ついにダウン・・・時差ボケプラス風邪か?
関節が痛くて、どうにも起きあがれなかった。
今になってようやく、起きあがったものの、ふらふら・・・。
何か暖かいものでも食べようかな・・・作るのめんどうだな。
こういうとき、ひとり暮らしは寂しいでしょう、と言われるのだが、
私はあんまり感じない。
誰にも何も言われずに、とりあえず好きなだけ寝ていられるわけだし。
自分のことだけ考えて生きていけるというのは、無責任な生活だなあと
思うのだけれど、気は楽だ。
時差ボケする間もなくて、好都合と思っていたら、
そろそろやってきた・・・ついでに風邪気味にもなっている。
一気にダッシュして仕事をしなければいけないのはわかっているのだが、
ついついネットショッピングなどをしてしまった。
オペラのDVDを2種類。
さらにはウィーン国立歌劇場のホームページで
来シーズンの公演をチェック。
うーん、10月と2月あたりが狙い目か・・・などと考え、
そこまでいってから、別の思いがはた、と。
あー、DVD買っても、映像が見られないのだった、ウチのテレビは!
歌舞伎座昼の部を鑑賞。
「ひらかな盛衰記」から「源太勘当」、「道成寺」「与話情浮名横櫛」の3本。
新勘三郎の長男・勘太郎ががんばっていた。
与三郎の仁左衛門、お富の玉三郎の美しいこと。あのふたりのコンビは本当にいい。
またあのふたりで、桜姫をやってほしいなあ・・・。
久々の歌舞伎(3月はパスしたので)だったせいか、舞台に引き込まれてしまった。
歌舞伎の美しさというのは、やはり「色」が大きいなあと思いつつ。
夜、取材を終えて日付が変わるころに帰宅。
これから夕食。ひどい生活・・・。
音だけのテレビは気が抜けているが、なんとなくつけてしまう。
音はすれども姿は見えず、という我がテレビ。
直るのかなーと思いつつ、とてもじゃないが営業時間内にサービスセンターに
電話をかけられる時間がない。こちとらも遊んできたツケが回って・・・。
うーん、このさいだから薄型テレビ買っちゃおうかなあなんていう思いもちらほら。
しかし・・・お金がない。
世間では私がもうかっているように思っている向きもあるらしいが、
ほんと、ぜーんぜんお金はない。
ま、国内での芝居やらオペラやらの見物代が大きすぎるのだろう。
これも多少なりとも仕事につながっているので、私にとっては当然の出費なのだけど。
どうするかなあ、テレビ。
今日はパリ・オペラ座バレエ団のダンサーに取材。
明るくてエネルギッシュで、前向きな30歳のダンサー。
7月のパリ・オペラ座バレエ団のガラ(渋谷・オーチャードホール)、
興味のある方はぜひ見に行ってほしい。
成田に戻ってきたら、「地震のため電車が遅延」だという。
銚子沖で震度5とキオスクで聞いた。
いよいよこっちもか〜とどきっとしてしまう。
帰ってきてクリーニング屋さんやら郵便局やら銀行やら
雑用をすませ、たまった連絡などをこなしてようやく一段落。
ふとテレビをつけてみたら、音声は出るが画像が出ない。
むむむ?
マンション全部がそうなのか、はたまたテレビが壊れたのか・・・
いまだに不明。
ウィーンには1週間いて、6連発でオペラを観た。
ウィーンはすでに8回くらい行ってるだろうか、もっとかな。
今回のオペラ6連発もどれもすばらしかった。
「フィガロの結婚」「蝶々夫人」(これのみフォルクスオーパー。
あとはシュターツ・オーパー)
「愛の妙薬」「ヴォツェック」「ラ・ボエーム」「ファルスタッフ」。
中でも今売り出し中のテノール歌手で、愛の妙薬を歌った
ヴィラゾンには脱帽。
ウィーンの歌劇場で30分もカーテンコールが続いたのは珍しい。
帰り際に楽屋口をのぞいて、せっせとサインをしているヴィラゾンを見たが、
なかなかにいい男!
これからますます音楽界を騒がせる存在になるのではないだろうか。
旅というのはなぜか早く終わってしまう。
こちらウィーンににいるのも今宵限り・・・。
月曜日には東京へ戻る。
ウィーンにはもうすっかり友だちづきあいできるような人もできて、
今回もとても楽しかった。
美術館巡りとオペラの旅も終わり。
今度はいつ来られるのだろう・・・。
軽く夕飯を食べては来たものの、またも小腹がすいてしまい、
焼き芋とこんにゃくを食べた。
これは一昨日、一緒に落語に行った、大事な大事な友だちにもらったもの。
この焼き芋が、詳しくは言えないが、すばらしい味。
こんにゃくは、近江八幡の赤こんにゃく。
この女友だちは非常なグルメで、私はいつもおいしいものをもらったり
おいしい店に連れていってもらったりしている。
グルメというだけでなく、彼女は知識も豊富。
いろんなことをよく知っていて、すごい人だなあといつも思う。
焼き芋とこんにゃくを食べたら、なんだか眠くなってきた・・・
いかんいかん、これからが仕事のゴールデンタイムなのに。
4日に成田を発ってウィーンへ。
ウィーンは大好きな街で、1年ぶりにやってきた。
昨日も今日もオペラへ。
この街に来ると、心が純化していく気がする。
古くさいけど、こういうのを「命の洗濯」というのかも。
雑誌の原稿書きに追われたので、気分転換に街へ出かけた。
ん? 矛盾した言い方? つまり逃げたかっただけ。
ちょいと、逃げた。
それでなぜかデパートでバッグを買い、ひとりで天丼を食べた。
私は宝石にもアクセサリーにもほとんど興味がないし、ブランドものもまったく
もっていない。
洋服は嫌いじゃないけど、センスに自信がないし、機能的なのがいちばんだと
思っているので、どうしても気張って買うのはスーツが多くなる。
ところが靴とバッグは、大好き。
靴は、足の甲が異常に薄いので、必然的に履けるブランドが決まってしまった。
だが、バッグはどこのでも選べる。ただし、ブランド品は1つももっていない。
それほど高いものでなくていいのだ。
機能的でおしゃれ感があって、何より大事なのは革の質感。
バッグはほとんど革。あ、もしかしたら私は革フェチなのかもしれない。
そういえば、革のジャケットというのも異様に好きだ。
今日買ったのは、日本製の白いショルダー。脇がベルトになっていて、
マチの部分を広げたり狭くしたりできるところがおしゃれ。
グレーのステッチもなかなかいい。
この前買った、夏用の白い型押しパンプスに合いそう・・・というわけで、
むふふふと気分よく、小ハゲ天で、天丼を食べた。950円なり。
なぜか好きなんだ、天丼。
季節に1度は「てんや」の季節の天丼を食べる。安くてうまいのでお気に入り。
だが、てんやはこの前行ったばかりなので、今日は張り込んだ。
私のランチは人よりずれていて、だいたい4時前後になるが、
ひとりで食べるランチは、ドトールのミラノセットがせいぜい。
時間的にも値段的にも、これで満足。
しかし・・・950円の天丼はおいしかった。
銀座天國の天丼もめちゃくちゃおいしい。
これは高いので、すごくイヤなことがあったときなどに食べる。
そうするとすべて忘れられるから。
ところがめったに、「すごくイヤなこと」がないんだなあ。
だから天國の天丼は、まだ数回しか食べたことがない・・・。
月末はけっこう忙しい・・・ような気がする。
そもそも、「忙しい」ということが、私はよくわかっていないのだけど。
こういう仕事は忙しいのがありがたいことでもあったりするので、
仕事がないよりあったほうがずっといい。
それでも、ばたばたして日常生活が滞ってくると、ちと困る。
今日は午前中から某女優さんの取材に出かける。
撮影とインタビュー。
話がはずんで、終わったのは午後6時過ぎ。
そこから今度は、某誌でインタビューを受けるために某社へ。
ここでも話が弾み、終わったのは9時。
話を聞いたり聞かれたり・・・以前はインタビューをするのとされるのとで
混乱したが、今はまったく大丈夫。
週のうち半分くらいは自宅で夕食をとる。
特に自然食品を好むわけではないのだが、野菜等素材のおいしいところがあるので
食材は宅配を頼んでいる。
締め切りが重なる月末は、特に宅配がありがたいのだが、
実はその会社、事情があってこの2週ほど宅配が来ない。
食材が届かないというのは、死活問題だ。
冷凍してあったものでしのいでいたが、ついに我慢しきれず、
今日はとうとう近くの惣菜屋さんでサラダや高菜チャーハンを買ってしまった。
野菜に味がない! ことに幻滅。
いつからなんだろう、野菜が野菜らしい味を失ってしまったのは。
日ごろ私が宅配してもらっているところは、とても厳しい無農薬、有機栽培。
最初は椎間板ヘルニアをやって、スーパーで買った荷物をもてなくなったので
やむにやまれず頼み始めたのだが、一度頼んで、その野菜のおいしさに驚いた。
そういえば、子どものころ食べた野菜はこういう濃い味だったな〜と感激。
以来9年近く、その会社に頼ってきた。
ところが不慮の火災で、その会社が機能停止状態。
1日も早く通常配達に戻ればいいなあ、と思っている。
おいしい野菜は、体も心も満足するのだから。
月末の締め切りが重なる時期にあちこち行ったことを書いていると、
まるで遊んでばかりいるようで・・・遊んでばかりいるのは確かだけど。
というわけで、今日は歌舞伎座の「桂枝雀七回忌」の落語会に行ってきた。
枝雀も好きだったけど、今日のお目当ては、大大大好きな小三治。
小三治の「一眼国」、おもしろかった。
マクラで枝雀のことを話していて、それは不覚にも落涙するほどいい話だった。
楽屋で一緒になっても、端と端で眼をちらと合わせてにこっとする程度の
関係ではあったけど、「あの人とあたしは似たもの同士」だと思っていた、と。
お互いにふだんは陰気で、世間話もするわけじゃない。
だけどどこか、合うと気持ちがいいなあと思える人だった。
枝雀の奥さんに、「うちの人は小三治さんに合うと、今日は小三治さんに会って
うれしかった」と言われて、同じように感じていたのだなあと思った。
枝雀さんは、途中からすっかり有名人になって、芝居をしたりテレビに出たり
していたけど、「一度大きな花火を上げてしまって、それがうまくいってしまうと
続けなくてはいけない、と思うから、大変だろうなあ、と遠くから見ては
思っていた」
同業者として、同じように落語を愛する者として、心のどこかでちょっとだけ
心配したり「どうしてるのかな」と思ったり。
だからといって、連絡をとりあうわけでもなく・・・そんなちょっとした
心の交流があったのだろうなあ、と思わせるマクラだった。
枝雀の関係だから、上方落語をいくつか聞いたが、
正直言って、落語は江戸に限る、と思ってしまった。
落語は関西で始まって江戸で発展したものだけれど、
私自身が東京の生まれ育ちということもあって、上方落語はちょっとくどさを感じる。
枝雀の噺のビデオも流したのだが、「代書屋」、おもしろいけど、
やっぱりどこか違う・・・
前に聞いた、権太楼の「代書屋」のほうが、私にはしっくりきたなあ。
実にばかばかしくて、落語の味がたっぷり。
枝雀という人は、ばかばかしさの中に知性が入り込んでしまうのだ。
彼自身はそのことをわかっていて、
だからこそ、おかしみを増すために身振り手振りを大きくしたのではないか。
そんなことをちらと思った。
やっぱり落語はビデオより、生で聴くものだ・・・
ビデオの枝雀は、どこか痛々しく見えた。
特別な相撲ファンというわけではないが、朝青龍が優勝して万々歳!
実は私、朝青龍が大好き。今場所からは右手で懸賞金を受け取るようになって
少し丸くなったようだが、とんがっている朝青龍もかわいかった。
異国からひとりやってきて、まったく文化の違う世界に入り、
横綱までのぼりつめた、というのはすごいことだと思う。
わがままだのなんだのと言われているが、今場所のあの「投げ」などを見ると、
「相撲が強ければいいじゃん」という気になってしまう。
今日のコメント「大阪の皆様、おおきに」というのも
愛嬌があっていいなあ。これからも応援したい。
そもそも、何かの道に秀でた人に、ふだんから「いい子」を強要するのは
どうかな、という気がしている。
舞台役者も相撲取りも、本業で我々を楽しませてくれれば、
あとは法を犯さない限り、適当でいいのではないかしらん。
歌舞伎役者に隠し子がいたとき、マスコミは大騒ぎしたが、
あんなことは当然、彼らの世界では過去によくあったことだろうし、
今の道徳観や価値観ではかることでもないように思う。
フランスでは、政治家の女性問題に関しては誰も騒がないという。
以前、ミッテラン大統領が隠し子がいた、という話になったとき、
マイクをつきつけられた本人が、「それがどうした」と言ったのは有名。
そもそも男女問題にマスコミが口を挟むのもおかしな話だ。
クリーニング屋に洋服を取りに行ったら、私の前にひとり中年男性がいた。
ま、私も中年だけど。
彼はクリーニングを引き取り、さらに新たにワイシャツなどを置いていったのだが、
その間、一言も言葉を発しなかった。
店の人は目の前にいるのに、まるでいないかのようにふるまっている。
彼は千数百円の代金を払うために二千円出した。店の人が
「二千円からでいいですか?」と聞いたのに、返事をするでもなく頷くでもなく。
はなからコミュニケーションを拒んでいるように見えた。
こういう人、最近、多いと思う。
駅の売店でも無言で金を出すだけ。
病院では、名前を呼ばれても返事をせず、黙って立ち上がるだけ。
私は売店では、「これください」と言うし、
「ありがとうございました〜」と言われれば、「どうも〜」くらいは言う。
たとえどんなに急いでいても。
向こうがちゃんとしゃべっているのだから、
こちらもきちんと応答するべきではないのだろうか。
日本にはとても便利な「どうも〜」がある。
まあ、あまり使うべき言葉ではないと思うが、それでも
言わないより言ったほうがいいと思う。
「口に税金がかかるわけじゃなし」と、我が母はよく言っていた。
言葉を惜しむな、ということだろう。
それは人からどう思われるかということではなくて、
自分が居心地よくいるための方策でもある。
人と話してみること。これは実はとっても大事なことだと思う。
昨日は新国立劇場オペラ「コジ・ファン・トゥッテ」へ。
なんだかモーツァルト「らしくない」音楽だった。
指揮者のせいだろうか。どこか間延びした感じ。
自分でチェンバロを弾きながら、オケ部分は指揮をしているのだが、
そういう手法は珍しいのではないだろうか。
歌手は小粒ながら悪くはないんだけど、浮き立つような音楽性が感じられない。
ラストもひねってはいるものの、「だから何?」って感じだし。
音楽には素人なので、どこがどうと言葉では言えないのだが、
いかにもモーツァルト、という音楽に酔いたいものだ。
モーツァルトは、やはり「キレ」が大事なような気がする。
今週はいつにも増して、不規則な生活だったため、
今日はたっぷりと睡眠を補給。
だが締め切り地獄に陥っているので、その後はせっせと原稿書き。
なかなか先が見えないな〜と思いつつ、いつかは終わる、と
がんばっているところ。
忙しいけれど・・・ 投稿者:さなえ 投稿日:2005/03/24(Thu) 03:54
今日は忙しい1日だった。
取材、打ち合わせにつぐ打ち合わせ、さらに夜もまた取材。
帰宅が夜中の3時半というのは、我ながらすごい。
でも私の仕事、基本的には興味のないことはしないので、
それはとってもありがたいことだと思っている。
なんとかかんとかやってきて、ちょうど20周年のライター稼業。
うまくいかないこともあったし、やめようと思ったこともある。
向いてない、と泣いたこともある。
それでも、続けてきたよかった。
離婚の裏には、結婚生活より仕事を大事にしてしまったという背景もあるのだけど、
今になると、やはり仕事をやめなくてよかった、と思う。
自分から作った家族がいない分、
仕事の中で人間関係も人生も学んできたような気がしている。