昨日は紀伊國屋ホールの寄席、今日は上野鈴本へ。
昨日の落語は特筆すべきモノはなし・・・ちょっと厳しいなあ、あのレベルじゃ。
ただ、猫定という落語、噺そのものがおもしろかった。
今日は九代正蔵の襲名披露2日目で、鈴本へ。
場内は満員、鈴本があれほど満員になったのは初めて見た。
イベントだからやってくる人もいるのだろうけれど、これからも寄席に客が来て
ほしい、と関係者でもないのに願ってしまった。
鈴本では私の大好きな翁家勝丸の太神楽、紋之助の曲独楽などがあり、
正蔵の弟・いっ平の落語、小朝、木久蔵など有名どころがずらり。
いっ平くんもお兄さんに触発されたか、どんどんうまくなっている。
小朝師匠のうまさは今さらながら・・・この人、本当に芸達者だ。
そして大トリ正蔵は、「子は鎹」。
昨日もこの噺だったらしいが、子どもの描写がうまく、ほろりとさせられた。
名前が芸を作る、ということもある。
一生懸命、噺に取り組んでいる姿は、本当に好感がもてる。
これからもがんばってほしいし、寄席に通う人たちがもっと増えてほしいと
つくづく思う。
取材、打ち合わせ、そして麻雀と週後半は忙しかった。
(最後の麻雀は遊びじゃねーか、という突っ込みも自分の中にあるが)
仕事はおもしろい企画をいくつか抱えている状態。
雑誌でできること、本にしたいこと、いろいろあって、
実現に向けて動いていくのがなかなかに楽しい。
昼間はずいぶん暖かくなってきた。
だが暖かいからとコートを着ずにでかけると、
夜はぶるぶる震える始末。
コートはすでにクリーニングに出してしまったので、
今さら着るのもな〜、もう一度出さなくてはいけなくなるし、と
ついコートなしで出かけてしまう日々。
九州北部で大地震。
震度6という揺れはすごいものだとテレビを見て痛感している。
東京も、遠くない将来、きっと大地震がやってくる。
わかっていながら何も準備をしていないが。
それにしても新潟から5か月後の大地震となる。
どこで起こっても不思議はない。そのくらい地震の多い国に住んでいることを
改めて感じた。
投稿者:さなえ 投稿日:2005/03/16(Wed) 01:05
今日は朝7時半には家を出て、都内某所へ仕事。
久々に混んだ電車に乗ったが、殺伐とした雰囲気にうんざりした。
誰も彼もが殺気立っている。女性が立っていても、
体で座席を奪うようにして座る男たち、
鞄で人を押しのけて立ち位置を確保する男たち。
おそらく会社では地位も肩書きもあるのだろうに、電車の中で
ひたすら自己チューなのは、中高年の男たちだ。
朝早くからの仕事を終え、同行した編集者とお茶して
仕事の打ち合わせとバカ話。
昼から都内某所で別件取材。
夕方から友人に会って、情報交換とバカ話。
1日のうちでバカ話の占める割合が多いな〜と痛感した。
しかし、こんなところから企画は生まれる・・・はず。
数週間前からずっとエクレアが食べたくてたまらない。
だが、案外、エクレアってないものだ。
今日も友人と会った喫茶店で、いちごのトルテを食べてしまったのだが、
エクレアはなかった。
(ちなみに私は、いちごと栗にはめっぽう弱い。
メニューにこのふたつの文字を見つけたら、つい頼んでしまうのだ)
それにしてもエクレア、食べたい・・・
昼間、仕事関係の雑用をすませて、夕方から上野鈴本(寄席)へ。
お目当ての噺家・古今亭菊之丞さんはなんとトリ!
「愛宕山」をやっていた。この人、まだ32歳。しかし・・・うまい!
うますぎて怖いくらいだ。
身振り手振りがきれい、口跡もいいし、なんだかミョーな色気のある不思議な人。
このまま王道を進んでいけば、ものすごい噺家になるのではないか。
先日の「明烏」といい、今日の「愛宕山」といい、
むずかしい話をなんなくこなしてしまう技術はすごい。
もっともっと聞きたい、と思わせる「何か」がある。
今後が楽しみ。
見学に行ったわけではないのだ、六本木ヒルズ。
映画を見にいっただけ。
もともと江戸下町の人間なもので、六本木あたりはどうも苦手。
結局、時流に乗り遅れるタイプなのだなあ、と実感しつつ、
街の居心地の悪さに耐えながら、「サイドウエイズ」を見る。
男ふたりの1週間の旅行。片方は離婚から立ち直れない男、
もうひとりは週末に結婚を控えている男。
ワイナリーを訪ね歩きながら、結婚を控えた男はナンパしまくり、
立ち直れない男は新たな恋を見つけながら、一歩が踏み出せない。
悪くない映画だけど・・・うーん、なぜかイマイチ共感できず。
つくづく、ニール・サイモンという人は素晴らしいな、と関係ないことを
考えてしまった。というのは、シチュエイション的には、ニール・サイモンの戯曲に
あってもおかしくないような設定だったから。
だけど、彼の戯曲のようにしゃれた会話があるわけでないし、
会話の中から人生の真実が、小さな宝石のようにきらめくわけでもなく・・・
日常的でリアリティがあるのは確かだけど、
そして真実は日常の中にある、と言うのも事実だと思うけど。
それでも心揺さぶられる感じはしなかった。
ふと思ったけど、どうも私はこういう「ほのぼの系」には
はまりきれないようだ。葛藤も怒りも喜びも、もっと深くて濃いほうがしっくりくる。
笑いにくるまれながらも、毒のある言葉を応酬しあうニール・サイモンの芝居が
なぜか懐かしくなるような映画だった。
今どき、濃厚な言葉のやりとりは流行らないのかなあ。
お天気がいい日だった。しかも暇だ。
外へ出かけよう・・・さて、どこへ? こんなときは上野、の気分、とばかり
上野美術館巡りへ。とはいえ、だらだらしていたら、すっかり午後も遅くなり、
結局、踊るサテュロスと中宮寺の半迦像をセット券で見た。
セット券だと安くなるというのは、ありがたい。
サテュロスは今週いっぱい、半迦像は今日から、ということで
うまい日程になった。
どちらもおもしろかったー。
2000年ぶりに海中から上がってきたサテュロス、
1400年の歴史の半迦像。
青銅と木造の違いはあっても、どちらも歴史を感じさせる。
こんな極東まで連れてこられて、サテュロスくんはどう思っているのやら。
奥で修復の様子などが8分ほどのビデオで流されていたが、
サテュロスを引き上げた船の船長さんは、
網にひっかかったとき、本当に驚いたらしい。
一方の半迦像。
飛鳥時代の仏像って、顔がこの上なく優しいから大好き。
ほのかな色気、そしてアルカイックスマイル。
なんかとっても救われた気分になるような表情だ。
仏像の前ではとても素直な気持ちになれるから不思議だ。
朝になってしまった。お腹がすいた。食べようか食べまいか、迷う時間帯だ。
日曜日は昼から夜まで、某編集部主催の麻雀大会へ。
24人中、18位というていたらく。
相変わらず麻雀運がない。実力だ、という声も聞こえてくるが・・・。
その後、帰宅して朝まで仕事、というわけで、こんな時間になってしまった。
私は典型的な夜型なのだが、これはこれで不便だ。
締め切り時期が重なると、ほとんど昼寝て夜起きるような状態になる。
何かの振り込みやら、クリーニングやら、靴の修理やら買い物やら、といった
日常的な行為がほとんどできなくなってしまう。
取材というのは、基本的に昼間から夕方が多い。
夜原稿を書きながら、昼は取材という日々が続くと、これはこれで完全な睡眠不足が
続くことになる。
周りにも朝型が増えてきた。偉いなあと思うけど、
私にはできそうにない・・・(やる気がないだけ、という噂も)
子どものころから、私の母親は、
「寝るほど楽はなかりけり。浮き世のバカが起きて働く」とよく言っていた。
たまにやむを得ず、朝早く起きると、この言葉が頭に浮かんでしまう・・・
これって新種のトラウマかも。
そういえば、母は妙なことばかり言う人だった。(ちなみに健在)
「明日できることは今日するな」とか・・・
だからこんな怠け者の娘ができてしまったのではないだろうか。
あー、やっぱり空腹。
黒豆茶でも飲もうかな。
実は、黒豆茶にちょっとはまっている。
煮出してもいいのだが、私はめんどうだから直接、カップに黒豆をいれて
熱湯を注ぐ。
お茶を飲み終えるころには、黒豆も柔らかくなっていて食べることができる。
黒豆は体にいいというし、ちょいとお腹も満たせるし、一石二鳥。
どうしても夜食をとることが多い生活なので、太りがちだが、
黒豆茶なら許されるかなあと思っている。
朝まで仕事して、ちょっとだけ寝て、10時に起きて落語の前売りチケットを
電話で予約。それからまた少し寝て、昼に起きて仕事して、
夕方から、新国立劇場小劇場へ。
レオンカヴァレロのオペラ「ザザ」を聴いた。
初めて聴くオペラだったが、引き込まれた。
ヴェリズモオペラというのは、本当に「ドラマ」なんだなあと実感。
女優であるヒロインが恋した相手は、実は既婚者だった、というだけの話だが、
女優のお母さんがひどい飲んだくれだったり、仕事と恋との間で悩んだり、と
人間の苦悩に焦点を当てているから、まさに「ドラマ」になる。
歌手たちもがんばっていた。舞台は質素だけど、ある意味ではこれで充分。
かえって歌と内容に集注できるというメリットもある。
こういうめったにやらないようなオペラが聴けるのはありがたい。
新国の現状は深刻で、このところ惚れ惚れするようなオペラにはありついていないが、
回数が減ったとはいえ、この小劇場オペラを残したことだけは評価したい。
投稿者:さなえ 投稿日:2005/03/02(Wed) 06:29
今日(火曜)は、某指揮者にインタビュー。
音楽に携わる人の話は本当に興味深い。
夕方から、ちょっとだけ麻雀をした。
どうも今年になってから、勝利の女神に見放されているようで、
思うような手が作れない、上がれない。
うーん、苦しい・・・。
私は締め切りを抱えているし、他の人たちも明日は会社があるから、
電車で帰れる時間にお開き。
帰宅後、せっせとお仕事していたら、またも朝になってしまった。
最近知り合った女性編集者といろいろ企画の話をしていて、
「仕事したい」欲求が倍増。
だが、そういえば私、この仕事が本当にイヤになった、なんてことが
一度もないなあ、と振り返った。
もちろん仕事だから楽しいことばかりじゃないし、
げんなりすることもたくさんあるけど、それでもどうでもいいや、なんて
思ったことはない。
幸せなんだろうなあ〜と我ながら感じた。
久々に美容院へ。実は私、女の端くれでありながら美容院が大嫌い。
同じ場所に座っているのが苦痛でたまらない。
だが白髪は気になる、しかも気候のせいか地肌も乾燥してひび割れ状態。
そこで新しい美容院へ行ってみた。
ドクターショッピングならぬ、美容院ショッピングばかりしている。
本当は同じところで、好みや髪質をよくわかってもらったほうがいいのだろうけど、
ちょっと気に入らないことがあると、私はすぐに美容院を変えてしまう。
ただでさえ、美容院の数時間はある意味、拷問なのだから、
少しでもよりよりところへ流れていこうとするのはしかたがないだろう。
ものぐさでめったに美容院に行こうとしないくせに、日々の手入れも悪いくせに
美容院に「きれいにしてくれなきゃイヤ」という典型的なわがまま客である。
最近はネットで見つけて、メールを出し、
その返事から行こうかどうしようか決めることが多い。
今日行ったところは、とりあえず店の人の感じも技術もとてもよかった。
頭皮のマッサージをしてヘアマニキュアをしてカットして・・・ほぼ4時間。
やはり拷問には違いない。
でも髪型変えると、気分も変わる。そろそろ春だもんね。
... 続きを読む
自分を「能なし」と感じた日。というのはだじゃれで、今日は能見物へ。
いやあ、何度見ても、能のおもしろさというのがイマイチわからない。
国立能楽堂で、仕舞「求塚」と能「山姥」。
これは企画公演で、ロウソクの灯りだけでの舞台。
パンフレットを読んでいれば、あらすじはわかるのだけれど、
そのシテがうまいのかそうではないのか、どこにどういう味があるのか、が
まったくわからない。
見ているうちに「目」ができてくるのかなあ・・・
能は年に数回行くかどうか、という感じだから、いつになっても
おそらく「目」はできないだろう。
私がナマ舞台を好むのは、そこに「人間」が描かれているから。
オペラにしろ歌舞伎にしろ文楽にしろ・・・ましてや落語は「人」そのもの。
狂言もそうだ。
だが、能に「人の感情」というのをどこまでどのように見いだせばいいのか。
それとも、能はそういったことを排除して成立する芸術なのか。
そのへんがよくわかってない、ということが今日よくわかった。
どんなものにせよ、長く密に通わないと、その「よさ」はわからないと思うが、
正直言って、私は自分が「能」を好きかどうかもよくわかってない。
好きかどうかわかるためには、頻繁に会わないとダメかも。
うーん、男女関係に似てるか?
男女関係なら、一気に距離を縮めることも不可能ではないけれど、
能と私の間は距離が遠いわ〜。
午後から吉祥寺で取材をし(今日は受けるのではなく、する方。慣れているので
するほうが気が楽)、それから銀座へ。
お腹がすいて、天丼「まつや」で季節の冬天丼を。
私、毎季節に一度は、ここの天丼を食べてしまう。安くてうまい。
しかし、大盛りにすればよかったかなあ、とちょっと後悔。大食いだ。
午後3時半くらいの時間帯なのに、店はけっこう混んでいた。
近くにいた男性より早く食べ終わり、そそくさを店を出て、
今度は近くのコーヒーショップへ。もちろんここも180円コーヒー。
のんびり煙草を吹かしてから、いざ歌舞伎座へ。
歌舞伎の夜の部、今月は3本。
「ぢいさんばあさん」「野崎村」「二人椀久」
中でも野崎村は注目。人間国宝がずらり。
いちばん若いのが72歳の田之助、お染めの雀右衛門は84だか5だか。
富十郎、芝翫、鴈治郎はそろって70代半ば。
話は若い男女のことなのに、この年齢。しかし、それでも違和感がないのが
歌舞伎の「芸」の力だろう。
お光の芝翫はとてつもなくかわいかったし。
見るほうも、もちろん役者の年齢はわかっている、それなのにそこに十代の
純な田舎娘をきちんと感じ取ることができる。
役者と客の妙な共犯意識こそが、歌舞伎の醍醐味なのかもしれない。
もちろん、そこには役者の圧倒的な「芸の力」がなければならないのだが。
今日は東京もようやく晴れた。
昨日あたりは芯から冷たくなるような寒さだったから、今日はほっと一息。
午後から某誌の編集長、編集者と女3人でランチ。
おいしいイタリアンだった。真っ昼間から下ネタで盛り上がる。
その後、別の出版社へ。先週受けた某誌・取材のページに
写真を載せてくれることになり、その撮影をしたあと、しばし雑談。
さらに同じ出版社の別の雑誌の編集者・ライターさんとさらに雑談。
ここでもエッチ話に花が咲く・・・(咲かせた、というべきか)。
私たちにとって、こういう雑談はとても大事だ。
今はメールで原稿をやりとりするから、打ち合わせも電話だけで、
仕事はしても編集者に会わなかった、ということが多々ある。
だが、本当は、こういった雑談から企画が生まれたりするものなのだ。
どんな仕事も、実は人との関わりからでしかいいものが生まれない、と思う。
そこまでですでに夕方5時。
さらにそこから某新聞社へ。コメント取材を受ける。
今日もたくさん初対面の人と会った。
某新聞社の近くのビルで、偶然、ドーナツ・プラントを発見。
実は私、ここのドーナツが食べたかったのだ。
白金台と大手町に店があるのは知っていたが、
たまたま通りかかったビルにあったとは。
うれしくて、ついドーナツを3つ買ってしまった。
帰宅して早速食らいつく。生地はおいしいけど、ちょっと甘い。
今日は、甘いドーナツしかなかったのでしかたがないが。
砂糖がついていない、もっとプレーンのドーナツがあったらいいのに。
と思いながらも、バニラ、チョコ、クランベリーの3つを完食。
実は私、ドーナツモンスター。ドーナツが大好き。
オールドファッションタイプの固いものより、どっちかというと
昔ながらのふわふわパンみたいなドーナツが好き。
そういう意味でも、ドーナツ・プラントの生地はうまい。
この1週間は、初対面の人にずいぶん会った。
こういう仕事をしていると、「人に会って話すのが好きな」人種と思われがちだが、
実は私は人が怖い。もちろん、年齢を経て、多少の修羅場(?)も乗り越え、
つまりは世慣れてきたところがあるから、
人が怖いなんておくびにも出さないのは当然。
だけど、世の中人ほど怖いものはない、と今でも思っている。
人と会うのは嫌いじゃないから、こういう仕事も続けて来たのだろうけど、
内心はやはりいつも緊張しているのだと思う。
だから、「人に会うのが大好き、人に接するのが大好き」なんて言う人を見ると
羨ましくなったりすることが多々ある。
つまりは、今週は初対面の人にたくさん会って「疲れてしまった」ということだけが
言いたいような気もするのだが・・・。
ただ、「人は怖いが、人と接するのは悪くはないもんだ」ということも、
最近、つくづく感じている。
以前は「仕事で会った人は仕事以外の関係をもってはいけない」なんて思っていたけど、今は、どんな場でも出会いは出会い。気が合うようなら、食事に行ったり、
麻雀したり、ということを積極的にするようになっている。
人生の中で知り合う人はごくわずか。気が合う人はさらにわずか。
縁があったなら、その縁をなんだかずるずるひきずっていってもいいじゃないか、と
思うようになっている。これってトシとった証拠かも。
まあ、上記で終わればほのぼの〜という路線なのだけど、
ひとつ、あれれと思うことが。
そのたくさん会った人たちの中で、なんと4人もの男性たちが、
「僕、いくつに見える?」と聞いたのだ。信じられない、あり得ない。
私は「あたし、いくつに見える〜?」という女をアホだと思っていた。
「おめーがいくつに見えようがどうでもいいよ」と内心、こきおろしていた。
そういう女の子に向かって鼻の下を伸ばす男にも、「おいおい」と思っていたのだ。
それなのに〜、もはや時代は、
「僕っていくつに見える?」と男が言うようになっていた。
30代から50代まで、見事に世代関係なく、彼らは言う。
もちろん、世間話の中でのこと。彼らが私を口説いたわけではない。
若く見られたいのは、女の特権。男は「履歴書」である「顔」がものをいうのでは
なかったのかしらん。
若く見えれば男もうれしい・・・っていうような単純なことなのか、
男たちが女の意識に近づいてきているのか・・・。
しかもその、「いくつに見える?」という媚びた言い方がどうにも受け入れがたい。
言われるたびに、「ゼロか100」とでも言ってみたいと思うのだが、
ついつい適当な数字を言って、それが実年齢より年上であることが多く、
(もちろん、こっちだって気を遣ってサービスはしているつもり)
「実際は、もっと若いんだぴょーん」なんて男をよろこばせてしまう。
年齢なんて、どうでもいいじゃん、っていうのが本心なんだけど。
あれこれ考えていたら、ふと気づいた。
この4月で、私はフリーライターになってちょうど20年なのだ。ぱちぱち。
まあ、よくも飽きずに飽きられずにやってきたなあと思う。
フリーライターになって、と書いたけれど、私は大学を出てそのまま
フリーランスのライターになった。就職ができなかったからだ。
2浪のあげく、某社の数学のテストは「会社史上初の〇点」という名誉をいただき、
あえなく落選。じゃなくて不合格。
一応、いくつか出版社は受けたけど、全部そんな感じで受け入れてもらえなかった。
私自身、会社に適応する能力は皆無だと思うから、それでよかったのかもしれないが、
当時は落ち込んでいた。
だってライターなんて名ばかり、仕事がないのだから。
少しずつ仕事がもらえるようになったのは、大学時代の先輩たちのおかげ。
そう、だからやはり「人の縁」というのは大事。
なんだか今日はぼんやりそんなことばかり考えてしまった。
午後から(私が活動しはじめるのはだいたい午後)某男性誌から取材を受け、
場所を移動して原稿の打ち合わせを1本。
さらに某週刊誌の取材を受ける。
そのライターさんと麻雀の話で盛り上がってしまった。
たまたま彼も明治大学出身。
明治大学出身のマスコミ関係者って、けっこう多い。
夜はオペラシティで、鮫島有美子さんの「夕鶴」を拝聴。
鮫島さんは私の憧れの女性。
実は去年、とある取材で数日間、ご一緒したことがある。
その前にも何度か取材で面識があったのだが、本当に素敵な女性だ。
最初にお会いしたときから、そう感じていた。
てきぱきしていて明るくて、それでいてどこかふわりとしていて・・・
言うべきことはきちんと言うのだけど、言い方が論理的だから、
誰もが納得してしまう。
今回の「夕鶴」は、オペラと演奏会形式の中間、という感じ。
ハードなスケジュールで全国を回ってきたにもかかわらず、声がちっとも荒れてない。
姿も動きも、頭のてっぺんからつま先までぴんと神経が張りつめている。
このオペラは何度か見ているが、再演のたびに洗練され、
なおかつ鮫島さんの表現力は豊かに深くなっている。
歌手にとっても、公演を重ねていくということは、役がどんどん自分と近づいて
いくことになるのだろうか。
「哀れなつう」「かわいそうなつう」ではなく、強さももったつうになっている。
木下順二さんの芝居では山本安英さんの「つう」が印象に残っている。
芝居のほうのつうは、とても哀れでかわいそうだった。
若いころに見たせいもあるのかもしれないが。
同じオペラを見続けていくと、観る側もトシをとっていくから、
どんどん感想が変わっていくのかもしれない。
小説にしろ芝居にしろオペラにしろ、だからこそ芸術は「飽き」とは無縁なのだろう。
本当はこのオペラのあと、さらに学生時代の友人と飲みに行く予定だったが、
さすがに仕事がつまってしまい、断って帰宅。
ところが帰宅してからが、なかなか仕事がはかどらない。
この悪癖をなんとかしなくては・・・。
今日は取材をふたつ受けた。ひとつはなんとテレビ。不倫についてのコメントだ。
関西地域限定で助かった〜。テレビはナマも含めて何度か出たけど、やっぱり苦手。
もうひとつは男性週刊誌。こちらも不倫に関して。
映画「東京タワー」の影響もあるのか、
男性誌女性誌問わず、不倫の企画が多いようだ。
おもしろ半分の企画もあるので、私としては痛し痒しという感じ。
多くの人たちは、まじめに「恋して」苦しんでいたりするものだから。
「人を好きになってしまった」という事実と、「家庭をもっている」という事実。
そのふたつの事実と現実の間で、多くの人はつらくなっていく。
それを「もてていいじゃん」と片づけるのは間違っているし、
単なる興味本位でとりあげるのも、ちょっと違う。
もちろん、戦争などで生命の危機を脅かされるような状況だったら、
愛だの恋だの言ってはいられない。
だから平和な状況でこそ起こり得ることなのかもしれないが、
下手したら恋ひとつで、人は正気を失ったり、
ときには自らの命を断ったりするわけだから、
そう簡単に「恋くらいどうってことない」とは言いきれない。
明日も男性誌の取材をひとつ受けることになっている。
今日は新国立劇場のオペラ「ルル」を払い戻してもらって、
隣のオペラシティコンサートホールでミシェル・コルボ指揮フォーレのレクイエム等を
聞いた。なんと素晴らしい選択!
古楽器は使っていないのだけど(一部工夫されている楽器があるらしいが)、
楽器を超えた温かな音楽に包まれた。
ヴェルディ、ヘンデル、フォーレの3曲。
今日はコルボの誕生日だそうで、楽団員がみんなでハッピーバースディを
歌ったのも印象的。
ふっと思い返すと、どうも土曜日のチェネレントラ、
私は心から楽しめてはいなかったと思う。
ロッシーニのオペラブッファに不可欠な「楽しさと迫力」はなかったもんなあ・・・
土曜日はあげくに、友人たちと行ったタイ料理の店で
毛皮のコートにビールをこぼされてしまい(店員がビール瓶を倒した)
さんざんだった。
クリーニング代を弁償してくれる、というのはいいんだけど、
クリーニング屋に聞いたら、なんと3週間かかるという。
今期はもう着られない・・・えーん、せっかくジーンズに合わせて着てたのにぃ。
昨日寝過ぎたので、今日は朝から原稿直しを送り、
さらに10月のオペラのチケットを電話予約。
10時からの予約なのに、つながったのは午後1時。
3時間、携帯電話を1秒たりとも離さず、ようやく予約がとれてほっとする。
いつもながら、チケットとりは一苦労。
今日はオペラ「チェネレントラ」と、立川談志の落語独演会の2本立て。
ハードだった〜。
チェネレントラは、ロッシーニらしさが出ていたと思う。
歌手たちに大拍手! あの早口言葉は大変だ。
談志のほうは会場がいけなかったのか、非常に聞きづらかった。
落語会に2000人以上はいるホールをもってくるのがどうかしている。
いくら談志とはいえ、たったひとりでそれだけの客を吸引する力はない。
まして舞台の上にスクリーンがふたつもかかっていては、雰囲気もだいなし。
つくづく、マイクのない寄席はいいなあと思う。
演目は「子ほめ」と「文七元結」。
私は個人的にはどちらも感心しなかった。
子ほめってのは、もともとたいした話ではないけれど、
談志が話すと、お間抜けな感じがあまり出ない。
「文七元結」のほうは、娘のいじらしさ、廓の女将さんの心意気、というものが
やはりなんだか違うんだよな〜という感じ。
話の運びもややくどい。
本人も「この話は好きじゃない」と言っていた。好きじゃない話を聞かされる客は、
どうしたらいいのだろうか。
話が多少論理的でなくても、強引に客を泣かせてしまうような力業が私は好きだ。
志ん朝の「文七元結」は、号泣させられた。
こうなると、好みの問題かもしれないが・・・
投稿者:さなえ 投稿日:2005/02/11(Fri) 02:46
アダム・クーパーの「危険な関係」を青山劇場で見た。
フランスの作家・ラクロの同名小説をいかにダンスで伝えるか。
話の軸を絞って、肉体表現で見せるというやり方はよくわかるし、
意図としては素晴らしいし、振付もエッチで好みだし・・・だけど、最終的に満足できる舞台になっていたか、といわれると、考えてしまう。
どことなく、すべてが中途半端のような気がしてしまって。
ロイヤルバレエ出身者だけに、もちろんクラシックバレエの振付の残存も。
かと思えば、ラストシーンはまるで前衛劇・・・
ところどころで、驚くような肉体表現がある一方で、
「拠って立つところが希薄」な舞台とでもいうのだろうか、そんな感じが残る。
考えてみれば、クラシックバレエや歌舞伎などは、それだけできちんとあるジャンルの
中におさまっているから、楽なのかもしれない。
自ら振付や演出、主演までするクーパーの才能は確かにすごい。
いわばジャンルを超えた表現の世界。
あとは好みの問題なのかもしれないなあ・・・と考えさせられた。
今日はライター、編集者などが10人近く集まって、
大久保のおいしい韓国料理屋さんへ。
初対面の人たちもいたし、いったい、何の集まりだったかわからない状態だったが、
楽しくておいしかった。それがいちばん!
しかし、私たちの会話のほぼ8割は下ネタではなかったか!?
周りのテーブルの客が引いていた・・・ような。
帰宅して、録画しておいた「スーパーテレビ」を見る。
山岳レスキュー隊のドキュメント。
泣けた〜。
私、このところ、レスキュー隊に異常な関心をもっている。
特に東京消防庁のハイパーレスキュー隊。
この名前を聞いただけで、どきどきしちゃう。
ただひたすら、「人の命を救いたい」と願っている人たちって、
どういう人たちなんだろう・・・