先週末から今週にかけて、なんだか睡眠時間が短い。
今日は3時間半。
吉祥寺、高円寺と取材やら打ち合わせやらで
駆け抜けて、最後はロイヤルバレエ「マノン」へ。
マクミラン振り付けのこのバレエは大好き。しかも今回はシルヴィ・ギエムとなれば
期待大。そして、その期待以上の演技だった。
1日2時間くらいの睡眠でやっていけたらいいのになあ、と思う。
そうしたらもっといろいろなことができるのに。
2時間でもまだ1週間程度はもつけど、そうなるとその後、
どこかで20時間くらい寝ないとやっていられない。
かつては72時間不眠不休で、原稿書き飛ばし〜ということも
やったことがあるが、今ではさすがに無理。
でも今は、とても体力気力が充実しているような気がする。
もっともっとおもしろいことがしたいし、
もっともっと人と深くつきあいたい。
ずっと昔から、近い過去まで、思い返せば私だっていろいろ傷はあるし、
今も痛むものも抱えているけれど、
それでもあらゆることに攻めでいきたい。
朝青龍、今日も勝って、私もごきげん。
眼飛ばしも相変わらず冴えているし・・・。
今回もぶっちぎり優勝してほしいところだ。
昨日今日、と少しだけ涼しくてラクだ。
このくらいの気候ならいいのになあ、と思う。
先週から今週にかけては、小三治独演会、ロイヤルバレエ「シンデレラ」
鈴本での菊之丞さんとまたも舞台三昧。
小三治さんは、「百川」をたっぷりと披露。
自分でも、これほど「情景が見えていたのは珍しい」というくらいで、
確かに聞いている私たちにも、場の情景がはっきり見えた。
すごいなあ・・・究極の一人語りなのに、確かにあそこには
たくさんの登場人物がいて、みんながそれぞれに動いていた。
中入り後は、長ーい枕をやっていた。
もひとつ古典を聞きたいところだったが、おそらく「百川」で
あの日は次の噺をやる気が失せたのかもしれない。
ロイヤルバレエ「シンデレラ」もおもしろかった。
コミカルな踊り、プロコフィエフの軽妙な音楽。
12時になって、シンデレラが帰らなくてはいけない、と焦って、
おろおろするシーンで不覚にも目頭が熱くなる。
楽しい時間は必ず終わる、永遠はない、とふと感じたりして。
しかし、あのカンパニー、さすがに層が厚い。
鈴本の菊之丞さんは「幾代餅」。時間の関係か、ちょっとはしょっていたようだが、
幾代の気持ちが伝わってきて、うるうる。
どうも舞台を見ては、うるうるするのが最近の常。
涙腺が弱くなったと見るべきか、感性が衰えていないと喜ぶべきか。
夜のドキュメント番組で、集団自殺への願望をもつ人々を見た。
親に愛されていなかった記憶から、あるいは自分なんていないほうがいい、という
思いから、「消えてしまいたい」とつぶやく人たち。
リストカットを繰り返し、大量服薬をする女性たち。
見ていて、胸がつまるような思いがした。
と同時に、もしかしたら、愛されていることに対して、すごく鈍感だったり
貪欲だったりする人たちがいるのではないか、という気がした。
登場していたある女性は、母親に愛された記憶がない、という。
だが彼女は、父親とは本音で話していた。父から、母は娘を気にしているという
話も聞かされる。
あれだけ父親と親密に話せるのなら、母との関係にそこまで期待しなくても
いいのではないか、と私などは思ってしまう。
いろいろあって、私は父親とは同居はしていたが、ほとんど口をきいたことがない。
「関係」そのものが、なかったとしか言えない状況だった。
きょうだいとも同様だ。
肉親の間でのみ生まれ、作り上げられる「関係」や、「愛情」というものに、
私は子供の頃から、異常に疑惑を抱いていた。
ま、離婚して未だに一人なのは、そのせいもあるのかもしれないが、
もはや誰のせいでもないとも思っている。
「血」に頼らない関係だって、世の中にはあるはず。
だが、自殺願望の強い人たちは、結局、周りに強く強く愛されたいのではないだろうか。自分が思うような愛され方ができないから、愛されないと思っているのではないだろうか。
もしも、本当に愛されていなかった、という思いが強くても、
それなら、自分が誰かを愛してみればいい。
愛することで死にたくない、と思えるようになるかもしれない。
受け身では人生、つまらないのだから。
だが、死にたい欲求にとらわれている人からみたら、きっと
「ちっともわかってない」ということになるんだろう、ということもわかっている。
それでもやはり、私は思う。「甘えるな」と。
死を考えた人なら、必ず生をも取り入れることができるはずだと思うのだが。
人間って、そんなに弱いものなのだろうか。
やりきれないし、せつない番組だった。同時に腹も立った。
今週は、モスクワ室内歌劇場の「鼻」、
映画「花と蛇2」、そして黒門亭寄席とまたも盛りだくさん。
その上、午前中も深夜も取材や打ち合わせが入り、
充実していたといえばいえるが、かなりよれよれ。
珍しく食欲がいまいちで(食べる暇もあんまりなかった)、
脳に糖分がいかなかったのか、今日の夕方は頭がぼんやりしてしまった。
「鼻」は、この劇場の名刺代わりのオペラということで、
さすがによく練れている。
二度見たいかと言われると迷うが、とりあえず見ておいてよかった、という感じ。
「花と蛇2」は、ある意味で楽しみにしていた映画。
ただ、なぜかインパクトに欠けるのは、主演女優の演技がうまくないせいか。
こういうものは、むしろ活字で読んで妄想しているほうが
隠微なのかもしれない。
本当のSMは様式美だし、あくまでも精神的なものがメイン。
SMと性行為は必ずしも一致しない。
性行為上でのSM的行為・感覚というのとはやはり一線を画しているように思う。
攻められているようで攻めている、攻めているようで攻められている、という
ないまぜな感じが、私にとってはエロスなのだけれど。
とっても信頼している大好きな女友だちに会って、
仕事&プライベートなことを話していたら、彼女がとある人を紹介してくれることに。
そのまま速攻でその人に会うことができて、
仕事もうまくいきそうな雰囲気。
さらにそのまま彼の知り合いにも会え、楽しい時間を過ごす。
どんなに機械が発達しても、どんなに世の中が便利になっても、
やはり最後は、あらゆることが「人と人のつながり」なんだと再認識した。
出会いっておもしろい。
出会うべきときに出会うべき人に会っている。
仕事を始めて20年。この年月を振り返ってみると、
まさにすべてが「出会い」のたまものだ。
生きているといいことがあるなあ、と思える今日この頃・・・。
もちろん、いやなこともたくさんあるけど、
嫌なことはさっさとあっちへ押しやって、楽しく生きていきたいものだ。
婦人公論6月22号で書いた、
東京消防庁の特別救助機動隊(通称ハイパーレスキュー隊)の記事が
読者からの評判も非常によかった、と聞いて、とてもうれしくなった。
あの記事は、かなりの情熱をこめて取材執筆したものだから・・・。
少しでも多くの人たちに、彼らの存在を知ってもらいたい。
新潟の中越地震のとき、車とがれきの間にはさまった2歳の子を助けたのが、
ハイパーレスキュー隊の面々。
あれで一気に注目を浴びたけれど、まだまだ彼らの活躍は
知られていない面が多すぎる。
アメリカでは、消防士は常にヒーローだし、
ドイツでも人命救助に携わる人々、それを象徴するヘリは、
人々の憧れの的だという。
どうも日本では、消防士や救命士などが「縁の下の力持ち」扱いされすぎている。
自らの命のリスクをかけて他人を助けるレスキュー隊の実態を
少しでも知ってもらえたら、本当にうれしいのだけれど。
今日は友人たちと、「志らくと家緑の会」へ。
私はどうも、創作落語&新作落語は苦手のようで、
志らくさんの噺はつい、うとうと。
家緑さんは、人情話「中村仲蔵」。
この噺には私は弱くて、うるうるしてしまうのだが、
家緑さんはちょっと説明過多のところがあるのが気になる。
古典をわかってもらおう、という気持ちの表れだと思うのだが、
そこまでする必要があるのかどうか・・・。
説明過多によって、噺に乗り損ねる客もいる、というリスクが生じるのではないか。
毎日、非常に蒸し暑い。
湿度が低ければまだ楽なのだけれど。
昨日は、午後からとある集まりに参加。
日頃、なかなか集えない人たちと真っ昼間から宴会状態で、
めちゃめちゃ楽しかった。
寄席以外であれほど大笑いすることも珍しいくらい。
楽しかった。
今日は午後から取材。
その後、珍しく祖母の墓参り。
大好きだったおばあちゃんに、
思わず「元気?」とつぶやきかけて苦笑してしまった。
亡くなっても、心の中では生きているのだけど。
と書いてから、私の人生の中では、祖母が亡くなってからのほうが
長くなっていることに気づいた。
それでも祖母のことは鮮明に覚えている。
私は仏花というのが苦手で、ハイカラだった祖母も好きじゃないに
違いないと思っているので、花はバラやカーネーションなど
きれいなものを買って供えるのが慣例。
今日の花は気に入ってもらえただろうか。
昨夜、PCが直った。
いつも修理してくれるNさんに感謝。
おそらくメーカーに出したら2週間は入院治療が必要だったはず。
丸2日で直ってくるとは、本当にありがたい。
今日は打ち合わせを経て、夜はとある集まりへ。
新潮社から発売された「恋はストンと落ちるもの」という翻訳本に
かかわったスタッフと打ち上げ。
私は新潮社から出ている小冊子「波」に感想文を寄せただけだが、
打ち上げに参加できたのはうれしかったし、とても楽しい時間だった。
PC治療をお願いしていた人から夜、連絡があり、データもハードもなんとか
助かりそうだという。
昨日からほぼ鬱状態になっていたから、助かった〜という気分でいっぱい。
月曜日、新国立劇場で蝶々夫人を見る。
指揮とオケ、ドラマティックでとってもよかった。
雄弁だ。
肝心の歌に関しては・・・口を濁すしかないか。
その後、友人たちと中華料理へ。
聴いてきた蝶々夫人に関して、厳しい意見が飛び交う。
日曜の朝、突然、メインで使っているPCがダウン。
起動しなくなって焦った焦った。
結局、プロに頼んで現在、入院中。
ひょっとしたらデータまで全滅かも、ということだ。
どうしよう・・・と落ち込んでいる。
予備の小さなPCで、とりあえずはなんとかなるものの、
書きかけの原稿だのメルアドだのが救えないと
かなり支障が出てしまう。
バックアップをとっていない自分の責任なのだけれど。
憂鬱・・・
金、土と極端に暑い日が続いた。
毎年、私は暑くても汗をかかない(熱がこもって熱中症になりやすい)のだが、
今年はなぜか汗だらだら・・・。
新陳代謝がよくなったのか、太めになったせいか・・・。
24日はベルリン国立バレエ団の「ニーベルングの指輪」へ。
かの4夜連続のオペラを5時間のバレエにまとめた公演。
見応えありすぎ〜。
25日は池袋演芸場から祐天寺へ、菊之丞さんの噺を聴くためはしご。
毎度のことだが、やはりこの人の話のうまさと、
ある種のギャグのセンスには感心する。
さらりとギャグを入れることがあって、それがかなりはちゃめちゃなのだが、
あまりにさりげなくて、きっちりやっている古典にも違和感がない。
かの志ん生も、ときどきめちゃくちゃなギャグを入れたらしいが、
きっとこんなセンスだったのかなあ、と思う。
めったに入れないギャグだからこそ、入れたときにセンスが光る。
常日頃から信頼している女性編集者と、共通の知人である男性編集者とで
イタリアごはん。おいしかった〜。
彼は落語好きで、自分でも語っているという。
落語や歌舞伎の話に花が咲き、とっても楽しかった。
私はナマ舞台が大好きなのだが、客観的批評なんてものはまったくできない。
長年見ているのに、蘊蓄は語れない。それが実はコンプレックスでもあるのだが、
(実際、オペラの本を共同執筆しよう、と言われて知識のなさから断ったことも)
「道楽なんだから、楽しければいいじゃん」と言われて、
なんだかほっとした。
日常生活に支障をきたしかけているが、道楽は追求すべし! と改めて思う。
昨日はサン・カルロ歌劇場「ルイザ・ミラー」最終公演へ。
今日は歌舞伎座「恋飛脚」のみ再度観る。
劇場通いが頻繁すぎて、かなり疲弊気味。
例の菊之丞さんの師匠である圓菊さんの「背中の志ん生」を読んだ。
師匠と弟子のつながりが生き生きと描かれていて、すごくいい本だ。
小林信彦さんの「名人」もおもしろい。
彼も志ん朝の死に大ショックを受けたひとりらしい。
ずっと聞いていたというから、その衝撃は私の比ではなさそうだ。
今は結城昌治の「志ん生一代」という小説を読んでいる。
小説ではあるけれど、実際のエピソードも満載で、
読んでいて、思わず笑ってしまうほど。
気候が不順のせいか、このところ肌の調子が最悪。
あげく、なんとかしようと、いろいろな化粧品のサンプルをもらって
使ってみたら、もっとひどいことになってしまった。
私は自分の汗で、自家中毒のように肌が荒れてしまうくらいなので、
ホワイトニング系、ピーリング系の化粧品はやめておくべきなのに・・・。
化粧品を元に戻して、なんとか炎症を鎮めなくては。
日曜日の鈴本へ。
菊之丞さんは、「酢豆腐」。
これはもう、完全に手の内に入った噺で、若旦那が知ったかぶりして
「腐った豆腐」を食べるときの表情や表現のおかしいこと。
日曜の夜の寄席はすいているものだったが、昨日は満席。
お目当てはトリの創作落語の噺家さんだったよう。
私は「???」だったけど。
古典を今風にやる、ということで、メリットデメリットどちらが大きいのか。
志ん生が、「うまくなった」と見巧者に言われたとき、
「褒められたのはうれしかったけど、客は前のほうが笑った」と
思った、ということを何かで読んだけど、
確かに芸のうまさと、客の笑いは比例しないところがある。
だが、それにめげずに正統派を貫く意義はある、と私は思うのだが。
菊之丞師匠には、ぜひぜひ今の道を貫いてほしいものだ。
仕事の合間に鈴本へ。今日の菊之丞さんは「金明竹」。
これはもう、完全に手の内にはいった噺。
まったくよどみなく、あの早口を繰り返すのだからすばらしい。
しかもおかみさんの困った様子、与太郎のすっとぼけた天然ボケが
なんともいえずおかしかった。
中入り後の鈴本は、入場料がかなり安くなっていて良心的。
ナポリのサン・カルロ歌劇場「ルイザ・ミラー」「トロヴァトーレ」へ。
ルイザ・ミラーは主役ふたりの歌の力に、ただただ感動と感涙。
ヴェルディのオペラの中でも、なかなか実演に接することがないだけに
こんなにすばらしい音楽だったのか、と思った。
オペラの合間に鈴本へ。
相変わらず菊之丞師匠のうまさに感動。
若旦那も与太郎も、この人にかかると自在な人間模様が
目の前に現れてくるから不思議である。
歌舞伎座夜の部。
「盟三五大切」、鶴屋南北の名作である。
おもしろかった、おもしろかったんだけど、どこかに?が残る。
おどろおどろしい話、残酷美、南北独特のシニカルさなどが
とてもうまく表現されているのだけど、「虚無」と
「頽廃」に欠ける・・・望みが高すぎるんだろうか。
それにしても、相変わらず仁左衛門のすばらしいこと!!
この人、今は何をやっても、大輪の花という感じ。
これまでの勉強と人生経験がすべて実を結んでいる。
小三治一門会へ。
小三治師匠は、「馬の田楽」
何たって、この人のマクラはおもしろい。
最近、かなりはちゃめちゃになっているのが、
私自身、生では聞いたことがないのだけれど、
ひょっとしたら志ん生という人はこんな感じだったのでは、と
思わせるほどのおかしさがある。
お茶をじいっと見つめるしぐさひとつもまたおかしい。
噺のほうも、もちろん文句なし。
帰ってきてから、アマゾンで落語関係の本をやたら注文してしまった。
昨日の夜は立川談春独演会へ。
慶安太平記を師匠の談志とリレーで。もう一席は厩火事。
大ネタやればいいってもんじゃないし、厩火事はキャラが立ちすぎ。
古典のおもしろさが出てないというか、この人、才能はあるんだけど
江戸言葉を粗雑にしすぎていないかなあ。
今日は菊之丞独演会へ。
鰻の幇間、不動坊の2席。
日曜の夕方にふさわしく、肩のこらない大爆笑の連続。
こういう話はもうお手のもので、とんとんとーんと話が進んでいくさまは見事
としかいいようがないくらい。
古今亭志ん朝が死んだとき、私はもう落語は聞くまいと思ったほど
落ちこんだ。東京の落語の歴史が途切れた、とさえ思った。
だが、今はこの菊之丞さんに大いに期待している。
なにより江戸言葉が生きている。
話の運び、間、言葉のイキのよさ。落語に大事なこれらの要素が
彼の身体にしみこんでいるような気がしてならない。
古今亭菊之丞さんの独演会へ。
私には時間がないのよー、締め切りがーと思いつつ、
やはり行ってしまった。
「三枚起請」と「立ちきり」。
三枚起請は、ネタおろしだそうだが、三人の男がくっきり浮かび上がり、
なお吉原の喜瀬川(? もとは上方落語で小照という名前)の
開き直りがなんともいえずおかしい。
これからもっともっとこの人らしい話になっていくのだろう。
「立ちきり」は以前も聞いて泣いたのだが、今日も号泣してしまった。
鼻が真っ赤で帰るに帰れず、トイレに入ってなんとか立ち直ったのだが、
出てきたら、菊之丞さんが客ひとりひとりを送り出していた。
いちばん最後となってしまった私、何も言えず最敬礼だけして帰った。
彼の「立ちきり」は、小春の初々しさ、だんだん力がなくなっていく様子が
うまいのと、おかみさんがなんとも言えずいい味を出していて泣けてくる。
男を思って気持ちが弱っていく女心・・・がたまらなくいい。
今の菊之丞さんではなければ、できない小春なのだと思う。
10年後、きっともっとうまくなっているだろうけれど、
そのときはやはり、もう少し熟した小春になっているかもしれない。
演じる人と演じる役は、同じように年をとるわけではないけれど、
今のような一直線な小春ではいられないはずだし、
それでいいはず。だから、落語にしろ芝居にしろ、ずっと見続けることが
大事なのではないだろうか。